■似顔絵1万人目前・植木好正さんの初講演、そして週替わりの夕暮れ[11/3] |
→似顔絵描き1万人チャレンジの植木好正氏、そして花乱社5年目に入る
→100号ばかりの植木好正氏絵画展
→『人間が好き』出版記念油絵展
→“田舎のシュール”てんこ盛りの画集
→ご近所路上絵画展
植木さん初講演のテーマは、ある新聞の紹介記事では「ドイツで似顔絵130人描きました。」、もう一紙には「1万人の笑顔を求めて世界を歩く」と。おそらくご本人がそれぞれの取材時に口走ったままなのだろうが、これだけで植木さん本来のテキトーさというかゆるさが分かるというもの。
ともかく、1998年から始めた似顔絵描きがもう少しで1万人に達するということで、その裏話、苦労話を語ってもらおうという趣旨の講演会(NPOH法人筑前立花会主催)だったようだ。
![■似顔絵1万人目前・植木好正さんの初講演、そして週替わりの夕暮れ[11/3]_d0190217_2244211.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201511/03/17/d0190217_2244211.jpg)
何故、似顔絵を描き始めたのか──冒頭にそう切り出した植木さんは、江戸時代の話を始めた。当時の死因は何が多かったか……①戦、②病、③飢え、さて次は何だったでしょうか? と。答えは「退屈」。人は、退屈だからアル中になったりして死ぬ、と植木さんは言った。
真偽のほどはまあ措いて、退屈だから僕も似顔絵を書き始めた、という落ち。
以降、結婚し、4人の子宝に恵まれたものの奥さんが単独出奔、途方に暮れていたところに別の女性(現在の奥さん)が現れたが、その人がまたバツイチで同じく4人の子が居て……という話が──なかなかドイツでの似顔絵描きの話題に行き着かず──続いた。こうした話は前記画集にエッセイとして織り込まれてはいるが、見るからにペーソスの塊のような風貌の植木さんの語り口に、参加者は引き込まれてしまい笑いが絶えなかった。
以下はしょるが、「僕もそれなりに苦労をしてきたんです」という話の流れで、植木さんが言いたかった、というより私が受け取ったポイントは、下記2点。
*思い通りにいかないことは、そのままにしておく。
*よきことはわろきことなり、わろきことはよきことなり。
後者は蓮如上人の言葉だ、と植木さん。私はその時、これは「禍福は糾える縄の如し」ということかと思ったが、後で調べると、どうも少し違うようだ。蓮如(室町時代の浄土真宗の僧、本願寺中興の祖)の言葉は、正確には「よきことをしたるが、わろきことあり。わろき事をしたるが、よき事あり」と。
![■似顔絵1万人目前・植木好正さんの初講演、そして週替わりの夕暮れ[11/3]_d0190217_225292.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201511/03/17/d0190217_225292.jpg)
似顔絵描きは、講演前の時点で9835人ということだった。
「人間が好き」という(普通は気恥ずかしい)言葉が本当に似合う人は、そうは居ない。数年前、植木さんは直腸がんで手術をした、と。まだまだパワフルに、人世の「退屈」の愉しい紛らわし方を、オギャアと生まれ落ちた後の、人間本来のシンプルでテキトーかつ情熱的な命の燃やし方を、大空をキャンバスに描き上げていってほしいものだ。
[光は雲のように、空のように 2007]
![■似顔絵1万人目前・植木好正さんの初講演、そして週替わりの夕暮れ[11/3]_d0190217_23365613.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201511/03/17/d0190217_23365613.jpg)
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夕刻、1カ月振りの日曜ウォーキングへ。夏空のように視界全体がくっきりとしているわけではないものの、雲のない一応の晴天。
雲といえば、先日の「ささのや会」(→20周年を迎えた「大隈言道研究・ささのや会」)で、大隈言道(おおくまことみち、1798〜1868年、福岡出身の歌人)の面白い歌と出合った。
なにゆゑかとりけたもののすかたして立うつくまるそらの浮雲
(なにゆえか鳥獣の姿して立ちうずくまる空の浮雲)
大隈言道が雲を詠う──。そもそも彼の和歌は自然風景の細やかさを歌って秀逸だが、それにしても、近世期にこのような情景を詠う歌人が居たとは。
こうした日の夕暮れは、西空が薄いオレンジやピンク色に染まったかと思うと、頃合いが来ればあっけなく消える。ならば、静まった池面に映る光景を楽しもう。
西ノ堤池では、かぼそいながらまだ虫(コオロギか)の声が聞こえていた。多くの虫はオスが鳴くのだろうが、今なお娶りそびれた連中がいるようだ。
虫の声から話を引き延ばせば、昔、邯鄲(カンタン)という虫のことを何かで知って以来、虫の中で一番美しいとされるその声を聴いてみたいと思って来た。いや、これまでも、耳に入っているのだけれどそれと承知していないだけかも知れないが。
邯鄲という中国の現実の土地に関わる「邯鄲の夢」という言葉は、栄枯盛衰の儚いことを謂う。個体としての成虫の寿命は短いらしいその虫の、命を燃やしつつ歌う、その透き通った鳴き声を夕暮れに聴いてみたいものだ。
![■似顔絵1万人目前・植木好正さんの初講演、そして週替わりの夕暮れ[11/3]_d0190217_2251620.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201511/03/17/d0190217_2251620.jpg)
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