■福岡地方史研究会の例会、そして週替わりの夕暮れ[12/20] |
発表は、髙橋愼二氏による「局地戦闘機震電─J7W1─」。
「震電(しんでん)」は第二次世界大戦末期に、日本海軍がB29迎撃機(局地戦闘機)として3機を試作、独特な前翼型(水平尾翼が無く、かわりに主翼の前に水平な小翼を付けた形態)の機体形状を持った戦闘機。最高速度750kmを目指したようだが、1945年6月に試作機が完成、試験飛行を行った後、終戦を迎えた、と。
話はすぐさま高速で飛ぶが、私の父は陸軍の「鍾馗(しょうき)」(二式戦闘機)に乗っていたらしい。「旋回性能よりも速度(最高605km)を優先させており、優れた上昇力、加速力、急降下性能を備えた優秀な迎撃機であったが、反面、日本の戦闘機としては旋回性能、航続力は低く、翼面荷重が大きい」(ウィキペディア)ということで、離着陸が難しかったらしく、父は訓練中に何度も失敗し、着陸時に機体をバウンドさせる度に「おまえの訓練に一体どれくらいの費用がかかっていると思っているのか!」とぶん殴られた、と語っていた。
そうしたことに嫌気がさしたこともあるのだろうが、戦況を鑑みて「このまま続けると間違いなく死ぬ」と考えた父は、飛行機乗りを辞めたいと申し出て営倉入り、その後何とか転出できたらしい。当時の同僚は、特攻として大半亡くなったのではなかったか。
父は33年前に他界。もう少し話を聞いておけばよかった。
*参考→いつの間にか父を超えていた
なお、例会発表で、髙橋氏が「物事は疑って掛かること、そして自分で確かめること」と言われていたのが耳に残った。
![■福岡地方史研究会の例会、そして週替わりの夕暮れ[12/20]_d0190217_2137617.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201512/20/17/d0190217_2137617.jpg)
例会を終えて廊下に出ると、窓の外にはプロペラ機が飛び立てば如何にも絵になりそうな雲の様子。
その後4時半から、近くの焼き鳥屋で忘年会と相成る。総勢8人(写真も撮ったが、これは出さないでおこう)。これくらいの人数は、分散せずに皆でしっかりとした話ができる。といっても(二次会で10時頃まで飲んだせいもあり)話の内容は、大方はどこか空の彼方。
ただ、ここでも別な人が「現場に行き、自分の眼で確かめること」と言っていたことだけは鮮明だ。彼は「ベルリンの壁」崩壊前の東ベルリンに旅し、日本での報道が如何に嘘ばかりだったかが分かった、と。
*昨年の忘年会→福岡地方史研究会の忘年会、そして週替わりの夕暮れ
![■福岡地方史研究会の例会、そして週替わりの夕暮れ[12/20]_d0190217_2137216.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201512/20/17/d0190217_2137216.jpg)
さて、今日のウォーキング。1週休んだものだから闘志満々だったが、生憎の天気。西ノ堤池(周囲750m)を5周する頃から傘が必要となる。
帰る間際に夜景でも、と思っていたがそれも叶わず、結局、油山上空の雨雲グラデーション写真のみに。
ただ、長時間歩く(ここでは「航続力が高い」と言っておきたい)のはやはり嬉しくて……そうした気持ちを、いつもの現場で、身をもって確かめ得たことを喜ぼう。
![■福岡地方史研究会の例会、そして週替わりの夕暮れ[12/20]_d0190217_21373490.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201512/20/17/d0190217_21373490.jpg)
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