■今、二十歳という年齢は美しいか、そして週替わりの夕暮れ[1/10-11] |
ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。(『アデン・アラビア』)
フランスの作家・哲学者ポール・ニザン(1905〜1940年)の言葉だ。
鷲田氏はこう続ける。
魂の内臓から噴き上げる激しい渇望。膨らむ憧れとひどい幻滅。社会の中で方位を定められずにいる漂流感。いったい何をやっているのかという無力感。青春時代にひとはあがきと焦りに溺れそうになる。(略)誰だったか「青春など若いやつにはもったいない」とうそぶく御仁もいた。
鷲田氏、エスプリを利かせたつもりなのだろうが、最後の行は余計だ。他のことに文字数を使った方がよかったのでは。
私はこのポール・ニザンの言葉を、高校3年時の卒業記念文集への投稿に引用した。大人からの押し付けを真に受けてていいのか、自分の眼だけを信じろ──という主旨の、真に恥ずかしい文章。まさに自恃(じじ。根拠のない自負)と孤独と反逆が渦巻くカオスの真っ只中だった。
2年後の「成人の日」(当時は1月15日)には東京に居て、送電線を扱うアルバイトで地下20メートルに潜ってゴソゴソとやっていた。そのせいかどうかだが、アルバイト直後に風邪をひいて初めて40度を超える発熱を経験。学生が各々保険証を持つ時代でもなく勿論金も無かったので、服を着込んで厚い布団を被り、大量発汗させて着替えるという療治を繰り返し、治るまで1週間かかった。
そしてその夏、帰省中に今度は土方アルバイトをしていた私は、どうしようもない体の気怠さに襲われ診察を受けたところ、肺結核と診断される(以降のことは→「胸」に潜めた座標軸──川上三太郎氏講演を聴いて)。後で思い返すと、東京での風邪の後、時折、右胸がきしむように痛むことがあり、不意に鼻から出血することもあった。
*
さて、既に「成人」の時点から3倍以上生きている私は、「自恃と孤独と反逆」の世界からどれほど遠くに来られたのか──。生活上あれこれのスキルは増えたかも知れないし、それこそ様々な「大人」に出会ったが、基本的な心根としてはほとんど変わっていない気がする。
今から思えば身のほど知らずも甚だしいが、17〜18歳の時の私は、「腐った大人になりたくない」と考えた。マスコミやジャーナリズムの第一の仕事が様々な「権力」への批判であるように(案外分かっていない人が多いようだ)、若者にとっての普遍的な課題は、「腐った大人(社会)」への批判、そして自らがそれとは異なった生き方を模索し彷徨うことではないか──などということを、今日久しぶりに考えてしまった。いや、これも勿論押し付けだ。大人もちゃんと生くるに如かず。
●10日
柳川からの電車内にて
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福岡市・警固公園
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●11日
いつもの西ノ堤池にて
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