■「雨があがるように しずかに死んでゆこう」、そして週替わりの夕暮れ[2/7] |
![■「雨があがるように しずかに死んでゆこう」、そして週替わりの夕暮れ[2/7]_d0190217_2238852.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201602/07/17/d0190217_2238852.jpg)
第1部の「愛唱歌ステージ」で、寺山修司の詩に曲が付けられているのが新鮮だった。
種子(たね) 寺山修司
きみは
荒れはてた土地にでも
種子(たね)をまくことができるか?
きみは
花の咲かない故郷の渚にでも
種子をまくことができるか?
きみは
流れる水のなかにでも
種子をまくことができるか?
たとえ
世界の終わりが明日だとしても
種子をまくことができるか?
恋人よ
種子はわが愛
パンフレットの解説にはこうある。
「有り得ないほど厳しい場所に、ともに『種子』をまいてくれる人を捜す主人公。その『種子』とは、彼女の『愛』そのものでした。どんな場面でも一途に愛してくれる恋人に、強く切なく呼びかけます」
寺山修司は東北(青森県)生まれ。合唱曲として取り上げたことの含意は明白だ。3.11からもうすぐ5年。
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雨
雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ。
あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう。
雨があがるように しずかに死んでゆこう。
後で思い出したが、これは、私も以前取り上げた(→週替わりの夕暮れ[2014.3.9])八木重吉の詩(後でよく見ると、パンフレットにもちゃんとそう書いてあった)。
雨があがるように しずかに死んでゆこう──実に清冽な一行だ。つい憧れてしまいそうになる。
だけど、私は本当にそのように死にたいか……。
●帰途、ケヤキ通りにて(2枚)
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ふと思い出したのは、四半世紀前に母が逝った時、私が随分とお世話になってきた高田茂廣氏(1928〜2009年、筑前の海事史研究家。参考→海と歴史と子どもたちと──高田茂廣先生遺稿・追悼文集/『海と歴史と子どもたちと』刊行お披露目会寸描)が葬儀会場に送って下さった色紙のこと。
「母の逝きし如くに海の燃ゆ」
喪主たる私は、それまでの経験から、参列者を差し置いての弔電奉読が大嫌いだったので、葬儀司会者にこの色紙文だけを読み上げてもらった。ただ、確か高田先生は俳句も物してきたはずなのに、「ははのゆきし……」では、字数が合わず言葉が転がらないなと、折に触れ思い出す度に訝しく思ってきた。
歩きながらだと、思考も遊び心を取り戻せる。そうか、これは “俳句崩れ” なのではなく、「母」を「おふくろ」と読ませたかったのか──。高田先生、今頃気づいて済みません(だけど先生、僕はあなたのようにはマザコンでもセンチメンタルでもありません)。
昼間聴いた演奏会に戻れば、そこでは女性合唱のパートもあり、その歌声は確かに美しかった。けれど、音程が高いせいか、言葉が聴き取れずにもどかしい部分もあった。声だけが頼りの合唱で、言葉が聴き分けられなかったらどうしようもない。その点で、男声合唱は安心して聴けた。
美しさは、そうでないものとの現実的な交錯の中でこそ生きる。「雨があがるように しずかに死んでゆこう」という──八木重吉、44歳の──清冽な詩句に対しては、だからこそ身の内に抱え持った醜さや猥雑さや悔恨に思いを及ぼしてしまう。
さて、もしも注文を出せるようなら……やはり私は、自分のその時も、空でもいい、海でもいい、燃えてほしいと思う。よって、私の場合はこうなる。
陽が沈むように 赫々と燃えて死んでゆこう
新しい朝(あした)のために
![■「雨があがるように しずかに死んでゆこう」、そして週替わりの夕暮れ[2/7]_d0190217_22393223.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201602/07/17/d0190217_22393223.jpg)
昨夜まで何度か文章の手直しをして、もうこれで終わりと思ったのだが……。今朝、念のためと色紙を捜すと、本棚の棚の間で発見。困ったものを見付けてしまった。
色紙現物には、
「母の生きし如くに海の赫く燃ゆ」
とある。私の記憶してきたのとはやや趣が異なる。おそらく最初に朗読された時点での “耳の誤読” に始まっているのだろうが、「生きし」を「逝きし」と思い込んでしまったところなんぞは、自分自身のセンチメンタリズムを否定できないかも。ともかく、まず我が記憶をこそ疑うべし。
なお、何故か色紙は3枚あった。文字内容はいずれも同じ。私に姉・弟がいると知った上でのご配慮であったならば、私が独り占めしたことに。あの世の高田先生には重ねてお詫びしなければならない。
上記の文はそのままにしておこう。それにしても、「母」はやはり「はは」なのか……?
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