■月の光に導かれて──内田洋子『イタリアのしっぽ』、そして週替わりの夕暮れ[2/28] |
ヴェネツィアで暮らす人たちは、船は使わず徒歩でサンマルコ広場を避けて移動する。路地は入り組んで迷路のようだが、住んでみるとごく小さな町で、毎日歩くうちに鼻が利くようになる。町で生まれ育った老人ですら路地を知り尽くすのは難しいというけれど、それでも壁の染みや曲がり角の水苔、日の差してくる方角、頭上に咲く花、レストランの調理場から流れてくる炒め物の匂いなどを覚え、勘に導かれて、方角や近道を探り当てて歩けるようになる。
──内田洋子『イタリアのしっぽ』の「月の光」から
数カ月振りに、日曜午後に読書の時間を与えられたならば、何を差し置いても内田洋子。一時期、須賀敦子(1929〜98年、『ヴェネツィアの宿』がいい)にものめり込んで全集まで買ってしまったが、内田洋子の文章はさらに──勿論イタリアの──「旅」への想いを掻き立ててくれる。
「毎日歩くうちに鼻が利くようになる」とあって、後で「レストランの調理場から流れてくる炒め物の匂い」と出てくるのが、この人らしくてとてもお洒落(ちなみに私の場合は、ウォーキングのベースとなる西ノ堤池でいつも、池傍にあるラーメン屋のスープの匂いを嗅いでいる)。
イタリアに住んで三十余年、現地情報を日本へ発信することを業とされているようだ。勝手な推測ながら、彼女がエッセイを執筆するのはおそらく夜分ではなく、午前中、それも早い時刻だろう。身の回りに静謐な一刻を必要とする文章だ。読む方も然り。
数日前、「あなたのブログ写真は、いつも空が大きいね」と言われた。比率を逆転させてみた。
[3/7最終]