■行橋市での『田舎日記/一写一心』出版のお祝い会 |
1月に刊行した『田舎日記/一写一心』(文:光畑浩治/写真:木村尚典)のお祝い会に招かれ、著者お二人の地元・行橋市まで出掛けた。この本は、2014年6月刊行の『田舎日記・一文一筆』(文:光畑浩治・棚田看三)に続く、「田舎日記」シリーズの2冊目。ちなみに、「田舎日記」の執筆者・光畑(こうはた)さんは、このコラボ・シリーズを10冊出す、と目論まれている。もう三十数年、お世話になってきた方だ。
参考→高校卒業半世紀後のコラボレーション──『田舎日記・一文一筆』
久し振りに装丁を──光畑浩治・棚田看山著『田舎日記・一文一筆』
エッセイと書(筆文字)のコラボレーションだった1冊目とは趣が異なり、今度のはエッセイと写真の “競演”、というか変則コラボレーション。
右開き(縦組み)2ページ単位で始まるのがエッセイ「田舎日記」、左開き(横組み)2ページ単位で始まるのがカラー版写真集「一写一心」。即ち、本をどちらから開いてもらっても構わない構造になっていて、カバー・デザインも両面共が「表」となる仕様にした(ただし、バーコードは片一方に配置するしかなかった)。「変則コラボレーション」と言う意味が、『田舎日記・一文一筆』とは微妙に記号が違うタイトル『田舎日記/一写一心』とした理由が、分かってもらえるだろうか。
●『田舎日記/一写一心』のカバー両面(折り返し部分を省いた状態)

「田舎日記」の題字揮毫は棚田看山氏。
左下に2行見えているのは、北村速雄氏(NPO法人まちネット人ネット九州代表)による「田舎日記」序文の抜粋。この本には帯もないし(付けると余計に混乱する)、スペースの関係もあり、あえてこういう形態とした。以下、抜粋分の全文。
「田舎日記」と言いながらその対象地域は京築にとどまらず、時には世界的な広がりさえみせる。森羅万象、光畑さんの綱(手では小さすぎる)にかかると全てが題材となるが、とりわけ前職の影響もあり、人物への迫り方は勘所をきちんと押さえ、とても参考になる。メリハリがないようにみえて、その実、時の人、時の話題を取り上げるなど細かい配慮があちこちにみられ、読む人を引きつける。(略)
直ぐに役立つ実用書ではないが、知ることによって先人たちに思いをはせ、地域を愛し豊かな心で生きていける、そんな本である。なぜ「田舎」なのか、なぜ「日記」なのか、そのこだわりは「何」なのか、まだ本人に尋ねていない。今回の出版は、病気を克服してきた木村尚典さんの写真とのコラボレーションだという。今までおぼろげであった光畑さんのユートピア「田舎」が明らかにされるのではないか、と思っている。みなさんの一読を期待したい。
「光畑さんのユートピア『田舎』」という表現が、心に留まる。これすぐさま「田舎=ユートピア」との謂(いい)ではないだろうが、昨年読んだ田中優子の『鄙(ひな)への想い──日本の原風景、そのなりたちと行く末』(→あの「美しい国」の鄙の今──田中優子『鄙への想い』他)に想いが及ぶ。
そこにあるのに届かない。胸がしめつけられるほど懐かしく、いとおしい。しかしそれは、実際には私のこの眼で見ていないはずの風景であり、極めて現実的であるのに私のものではない。手を伸ばして触れたいと思う。足を運んでその地を踏みたいと思う。しかし決して届かない場所。それが私にとっての「鄙」である。まるで「夢の中の日常」のようではないか。しかし鄙は今、存亡ぎりぎりの身体をさらしている。「夢の中の日常」にひたってばかりもいられない。
勿論、「田舎/都会」、「雛/都」であって、「田舎=雛」ではない。だが、
3.11により、都と鄙の差別はとてもはっきりしてきた。福島が、生きることが困難な、再生することすら難しい地域になってしまったのは、鄙が都の犠牲の地として、あらかじめ位置づけられていたからではないか。犠牲の地であることは、原発施設の設置にあたって多くの補助金が行政に支払われることに現れている。
福島はほかの被災地のどことも似ていない。そして福島ほど、「都と鄙」の関係を顕わにしたところはなかった。その「都と鄙」は「国家と鄙」と言い換えてもよい。福島のムラは、子どもや孫のために地域の発展を夢見た。そして中央に作り出された原子力ムラは、核燃料サイクルによる永遠のエネルギー供給を夢見た。即ち、原発の建設は、日本の二つの「夢」の現れだった。一つは核武装、もう一つは経済成長である。二つのムラの二つの夢は、あの日までは呼応しつつ、夢を見続けていたのである。
という論点に立つ時、最早我々は「田舎≠雛」に拘ってはいられないのではないだろうか。
*
話が脱線したが、本書出版記念の写真展が、行橋市の「浅川家具」と「GALARLE RAVOUX ギャラリー・ラヴー亭」の2会場で開かれている(3月19日まで)。当日覗いたが、とりわけ「浅川家具」の店の方たち(女性陣)との会話がとても愉しかった。笑福亭鶴瓶か前川清に是非訪れてほしいと思った。

宴席に向かう途中、久しぶりに行橋駅近く、アーケード街辺りを歩く。買い物客がうろついていてもよさそうな時刻だが、実に閑散としている。地元に気を遣って言えば、曜日が悪かったのか……だが、今日は金曜日。
私自身は、いくらか寂れた街を歩くのが好きなのだが、まあそれは勝手な言い草。ともあれ、利権と選挙にしか関心のない劣悪末期的な現自民党政権が、決して見渡すことのない現実の一端がここにある。

あやとりを思わせる電線越しに。

『田舎日記/一写一心』出版関係者が一堂に会しての乾杯。撮影している宇野を除き、近年の会合では珍しく私が一番の若輩。「人生、最後まで闘いなのでは?」との、いつもの檄(げき)を飛ばした自分を後で悔やむのも、またいつもの習わし。

●3月12日
ついでに、翌日、天神での夕暮れ。都会でも田舎でも、都でも雛でも、弥生の月は明け透けな秘め事のように昇る。

[3/16最終]
→花乱社HP