■男は単なる使いっ走り──「福岡伸一の動的平衡」 |
●トカゲを振り向かせる方法
動物園の片隅、爬虫類のコーナーに行く。大きなトカゲがじっとしている。こんなトカゲを振り向かせる方法、知ってます? ガラスをどんどん叩いてもだめ。トカゲの目の前に手をかざしておいて、急にぱっと引っ込める。すると彼はキッと首を立てる。なぜなら生物にとっての「情報」とは消えることだから。
私たちは本やネットが情報だと思っている。でもそれは単なる記録(アーカイブ)。秋になると森にキノコが生えるのはなぜ? 地中の菌糸は暖かい気温が消えたことを感知して、冬の到来を予感し、子孫を拡散するために傘を開く。夜の生き物は視野から星の光が消えることで、上空の敵の襲来に気づく。
あったものがなくなる。なかったものが現れる。動きこそが生命にとって本来の情報である。それによって環境の変化を察知し身構える。情報は常に行為を引き起こすものとしてある。だから同じ匂い、音、味が続いたらそれはもう情報ではない。私たちは自分の唾液を塩(しょ)っぱいとは感じない(が、キスの味は分かる!)。新しい情報の創出のためには、環境が絶えず更新され、上書きされなければならない。そうでないと変化が見えない。
ネット社会の不幸は、消えないこと。小さな棘がいつまでも残る。情報は消えてこそ情報となる。 (1/21)
●哀れ 男という「現象」
ボーボワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったが、生物学的には「ヒトは男に生まれるのではない、男になるのだ」と言う方が正しい。
生命の基本形は女性である。そもそも38億年にわたる生命進化のうち、最初の30億年は女だけでこと足りた。男は必要なかった。誰の手も借りず女は女を産めた。その縦糸だけで生命は立派に紡がれてきた。でも女は欲張りだった。自分のものは自分のもの。他人の美しさもほしい。かくして縦糸と縦糸をつなぐ横糸が生み出された。遺伝子の運び屋としての “男”。単なる使いっ走りでよいので、女をつくりかえて男にした。要らないものを取り、ちょいちょいと手を加えた急造品。たとえば男性の機微な場所にある筋(すじ。俗に蟻の門〔と〕渡りなどと呼ばれる)は、その時の縫い跡である。
コンピューターをカスタマイズしすぎるとフリーズしたり、故障したりしやすくなる。それと同様、基本仕様を逸脱したもの=男、は壊れやすい。威張ってはいるが実は脆い。病気になりやすいし、ストレスにも弱い。寿命も短い。その証拠に、人口統計を見ると、男性に比べ圧倒的に女性が多い死因は「老衰」だけである。つまり大半の男は天寿を全うする前に息絶える。哀れなり。敬愛する多田富雄はこう言っていた。女は存在、男は現象。 (1/28)
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