■九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ①──秋の美しさと恐ろしさと |
夕食は6時からと早過ぎるが、お蔭で、食事をとりつつ、窓の外でゆっくりと濃度を増していく山麓のグラデーションを眺め遣ることができた。



●秋の美しさと恐ろしさと──藤井綏子さんの『山麓のアルペジオ』
亡くなって13年近く経っても、どこか謎めいたまま忘れることのできない著者のことを書いておきたい。
正確な記憶はないが、出版の相談を受けて九重町湯坪に住む藤井綏子さんを初めて訪ねたのは、1982年の晩秋ではなかったか。話し込んでいるうちに山里の陽は落ち、おまけにいつの間にか激しい雨が降っていたので、そのままお宅に泊めていただいた。
その時の本は、紀元前のインドを舞台にした宗教と歴史をめぐるエキゾティックな物語で、乾いた文体が強く印象に残った。以後私は、藤井さんが逝かれた1996年までの14年間で12冊、出版のお手伝いをした。多くは歴史に題材をとったエッセイだが、長女衞子(えいこ)さんと合作の画文集『山庭の四季』シリーズは5冊続いた(5冊目は没後刊行)。異色なのは、詩人ワーズワースの妹ドロシーの日記の翻訳だ。
そして、私にとって大切な本である1993年刊行の『山麓のアルペジオ』。

『山麓のアルペジオ』は全8章、秋から翌年夏にかけて移りゆく自然を背景に、山里暮らしの日常がベースとして綴られているが、全編、その二十代の出会いから始まる「あのひと」(ご主人)に関わる追想が、まさにアルペジオの如く自在に織り込まれる。
だがそれは、追想と言うにはあまりに切なくリアルで、彼女は二十数年経っても「あのひと」の夢を見、目覚めた時に心臓をドキドキさせている自分を発見したりするのだ。執筆当時はおそらく60歳を過ぎたばかり、生前刊行の最後の書として、藤井さんは赤裸々なモノローグを遺した。
そこでは音楽が、直截な力でもって彼女を過去に引きさらっていく。各章にそれぞれ音楽家が振り当てられていて、ハイドン、マーラー、シューベルト、バッハ、モーツァルト(二章分)、ショパン、それにベートーヴェンの作品が、「あのひと」と過ごした “暦のない時間” を、日常の最中(さなか)に現前させる。
例えば、最初の「逆光にすすきは光り・ハイドン」の章では、秋晴れの高原でススキが輝いているのに見とれるうち、「すすきが逆光を受けると、光りだすんだよな」という40年近く前の「あのひと」の言葉が呼び戻される。そして、秋の風景の美しさには、狂おしくて、暗い衝動に駆られ出すような恐ろしいところがあるとして、ハイドンの音楽について述べられる。
「美しければ美しいほど恐ろしくもある秋の雰囲気を、ハイドンは、ある頼もしい力で中和させてくれるようだ。ハイドンが鳴りだすと、浮遊しかけた人間の魂も我に返り、秋の美しさは少しも損なわれないままに、ものがなしさはそれ以上でも以下でもないものとなる。人間は落ち着いて自然の美しさを味わう側に廻り、(略)信頼とともに自然を──自分がその中の一存在であるところの自然を、静かに、快く観照することができる」
ここで彼女は、音楽の持つ一種の治癒力のことを語っているが、この一節だけで見事なハイドン論になっているのではないだろうか。だが問題は、人生が「快く観照する」だけでは終わらないことだ。
藤井さんの文章から私は、突然断ち切られた関係と時間の中に──「何にでも終わりのときが来るように」(「雪降りくれば・シューベルト」)その終わりが来るまで──否応なく留まり続けるしかない生の形を思う(兄詩人と英国湖水地方を歩き回り、そして彼の長い不在を待ち続けたドロシーとは、即ち藤井さんのことだ)。そこには情念と断念との、最後まで折り合うことのない交錯がある。
そうした切迫した感性に、生得のロマンティシズムと車椅子生活により飛翔力を増した想像力とが加わって、ともすればくずおれそうな「悲しさ」を通奏低音としつつ、人世において「信頼」し受容することのできる美しい一刹那の光景を求めて、ひたすら書き続けた藤井綏子さん……私は今でもその文章に憧れている。
(『心のガーデニング』2010年3月号より)
→九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ②──約束の地/山の声
→九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ③──『古今集』から