■九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ②──約束の地/山の声 |
●約束の地へ──藤井綏子さんのこと
その人の本を最初に作ったのは、1983年、『真理を楽しめる天使クシャーナ一代記』という奇妙なタイトルの小説集だった。表題作と「物語の物語」という作品が収められたその本がどういう内容だったか、今は記憶も薄れているが、キリスト教と仏教とが歴史上初めて遭遇した時代の中近東辺りを舞台に、エキゾティックな話が極めて乾いた文体で叙述されていた。
以後、『往来』、『筑紫ノート』、『九州ノート』、『山庭の四季』1〜4、『旅人の湯布院』、『山麗(やまうるわ)しみ』『ドロシー・ワーズワスの日記』(翻訳)、『山麓のアルペジオ』と、都合12冊の本作りを担当させていただいた。
その関心分野は、アジア及び日本の古代史、詩歌などの文学(私家版の歌集もある)、植物、音楽、美術、宗教など多彩で、最初のうち私は、この人の関心は一体どういう世界から訪れ育まれてきたものだろうか、と不思議でならなかった。『山庭の四季』(母娘による画文集)シリーズを手掛けだした頃からようやく彼女の “場所” と文体とが見え始め、『山麓のアルペジオ』に至って大いなる共感・感動へと誘(いざな)われた。
初めてお会いしたのは母娘で営む民宿──実際には随分前から娘の衞子さんが切り盛りされていたらしい──の居間でだったが、色々な話題に花が咲くうち日も暮れてしまったので、そのまま宿の一室に泊めていただくことになった。
夜分激しい音を屋根に響かせた雨は、翌朝にはきれいに上がっていた。布団に入ったままレースのカーテンと窓ガラスを開けると、真正面に、どこかイギリスの田舎を思わせる軽やかな裾野を持つ──当時はその名を知らなかった──泉水山の堂々たる姿があった。テラス庭のあちこちに季節の花がほどよく植栽され、中央には欅の木が2本、仲良く寄り添うように立っていた。その下にはベンチが置かれてある。

彼女の文章の魅力を簡潔に言うのは難しいが、私にはそれは、古典文学などで培われた文体への美意識と、深い痛恨の時間を経て来た人間だけが持ち得る “断念” とも言える論理とが、見事に融け合ったものに思える。
この痛恨と断念とがどういうものかは、先程の『山麓のアルペジオ』という本に “垣間見る” ことができる。全編、最愛の人を運命としか言いようのない事故で喪った人間の想いに満ちあふれたこの本は、モノローグの持つ力を知らしめてあまりある作品だ。
世の不条理が自己にもたらした切実な経験──すなわち「生の絶対性」を、どこまでも手放さずに、繰り返し繰り返し自分に突きつけ、問い直し、味わい尽くそうとしてきた者にだけ描き得る世界がそこにある。そこでは、感傷も、ロマンティシズムも、自己の生へ向ける眼差しも、極度に乾いていて、かつ温かい。そう、バッハ音楽のように。
病を得た後、彼女は車椅子生活となったが、その “場所” から彼女は、山を見、音楽を聴き、美術書を開き、遙か歴史と文明に思いを翔け巡らせ、想い出に耽りつつ著述を続けた(近年は片手打ちのワープロ執筆だった)。その時その場で、彼女が見ようとし、聴こうとしたのは、ただ一つのこと、ただ一つの調べであり、そこから生まれた作品はすべて、この世で再び相まみえることのない人へ宛てた「恋文」であった──と言うと、今はきっと、私たちの知り得ない世界で、その “彼” と待ち焦がれた再会を果たしているであろう彼女は、怒るだろうか……。
──九重湯坪・叶館(かのうかん)の藤井綏子さんが2月3日、亡くなった。山歩会でも幾度かお世話になったこの宿の、「叶う」という名付けの意味が、今ようやくにして私には腑に落ちる。 “叶う館(かなうやかた)” とはすなわち「カナン」であり、「約束の地」であったのではないか。そして今……藤井さんは本当の「約束の地」へと赴いた。
「大袈裟なことはしないで」と生前から言われていたらしく、私が訃報を受け取ったのも3週間程後のことであった。その時痛切だったのは、もうこれで藤井さんの新しい作品を読むことができなくなった──という想いだった。実を言えば私は、藤井さんの文章を一つの目標としてきた。
ところが、藤井さん母娘の間で『山庭の四季』を5まで出そうという打ち合わせがあったらしく、ほぼ完成したフロッピー原稿が残されていたとのことで、それを衞子さんから託されて、このところ編集に取り組んでいる。今は、ワープロ画面で見るその原稿が、私への形見分けの品に見えてならない。
『九重・山麓だより 山庭の四季 5』(海鳥社、1996年7月)

本来、九州の屋根といわれるこの九重の山々にふさわしい音楽は、バッハでも無伴奏チェロ・ソナタではないか、とわたしは思ってきたものだ。理由は、たとえば山が、晴れた日、雲団にぶちあたられて、それをしきりに青空へ飛散させているときとか、初夏、斜面一面を、ミヤマキシリマの開花で遠目にもピンクに染めているとき。あるいは春三月、野焼きの炎を、めらめらと山肌に這わせているときや、梅雨の晴れ間に、尾根からいっせいに霧を生んでいるときなど、ともかく山が何らかを表情しているとき、フッと、バッハの無伴奏チェロを聴く思いがあるのだ。あのクラシック音楽の極みたいな、幅広く、野太く、包容に満ち、しかも優美壮麗なあの音楽を、何度か、空耳でなく、現実に聴いた気がする。ちょうど山の声にように。
(「神々しい日・バッハ」より)
→九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ③──『古今集』から
→九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと ①──秋の美しさと恐ろしさと