■別れた理由(わけ)──「離煙」1カ月 |
と内科医に言われたのは、何度か胃潰瘍に罹ってピロリ菌を除去したり、ミニ・ドッグ代わりの検査を時々受けたりしてきた病院で、久し振りに胸部レントゲンを撮った際であった。
「えっ、肺気腫って……どうなるのですか?」
「ここに黒くて大きい泡のようなものがあるでしょ? これは肺の細胞が破壊されている箇所で、それがどんどん増殖・拡大していくでしょうね。勿論、一旦罹ると、治ることはないです。そのうち、階段を少し上っただけでゼイゼイと呼吸が荒くなるでしょう。ま、一番は、今からでも遅くない、できるだけ早く煙草を止めることですね」
とまあ、こういう結果は分かっていたはずでしょ、と言わんばかりの診断。率直に物を言う医者は嫌いではなかったつもりだが、これが仮に癌の話だったとしたら、あれだけ告知の是非が問題となっていたのは一体どんな大昔のことだったのか……などと余分なことまで思い起こしてしまった。人の心が(中には大和魂が)どうとか言うのが好きな連中はたくさん居るが、ある場合、世の中はコロッと変わる(だから、「だけどこころなんて お天気で変わるのさ」と歌うアン・ルイスは最高だ)。ともかく、当然ながら私はその時点から煙草を銜える気をなくした。
まずは、この3〜4年、胸部レントゲンを撮っていなかったことを、ちょっとだけ悔やんだ。肺結核の前歴があるのにも拘らず(参考→「胸」に潜めた座標軸──川上三太郎氏講演を聴いて)、私はそうした検査を軽んじてきた。やはり来るべきものが来たか。
次に、これからは色々な運動を少し控えなくてはならないのかな、と考えた。私はこの十数年、ほとんど毎週日曜、12キロ程の早足ウォーキングをやって来ているし、階段を一段飛ばしで上っても、大して息切れもしない。年に数回は1000メートル級の山にも登る。ついでに言えば、雨が降らない限りほとんど、車重200キロのバイクで通勤している(→散るのはまだ早い──28年目のバイク車検、週替わりの夕暮れ[4/10])。──それが肺気腫とは……どうも何だかちぐはぐだ。
その晩、ともあれ「まだ酒は飲める(飲んでいい)」との自己判断で日課はこなした。いつだって、まだ楽しいことは残っている。
*
五日経って、別の、幾らか呼吸器系で知られた総合病院で診察を受けた。待合室で、携帯酸素ボンベを抱えて鼻に吸入器を差し込んだ中年男性を見掛けた時は、心のどこかが疼いた。
そこの医者の話は、「肺気腫かどうかの診断は、幾つかの検査をして総合的な見地から判断します」ということだった。何でも理屈や筋道がある。
まず受けたのが肺活量で、この検査はなかなか楽しかったが、私は最大5200ミリあった(5000cc超えのアメ車のようだ、と喜んだ)。
そして再度、胸部のレントゲン、それにCTも撮り、流石にCTではかつての結核痕もしっかりと確認できたが、肺気腫と判断できる箇所は見当たらない、と。結局、私は無罪放免となった。
病棟傍のコンビニでサンドイッチを買い、遅い(立ち食い)朝食をとりつつ、さて、どうしたものか──。その時も鞄に煙草を入れておいたはずだが、即座に一服……という気にはならなかった。正直、専門違いの内科医の “誤診” で良かった。腹も立たなかった。ただ、「診断」を下すなら科学的であってほしいものだ。
肺気腫と聞いて、間違いなく私はビビった。その点では──そういう問題かどうかは別として──私は根性無しだ。それぐらいは覚悟していたはずではなかったか。若い頃から肝臓が気がかりだった父は、早い年代に煙草を、壮年になって飲酒を止めたが、胃癌で手術を受け、余命1年という間──おそらく自分の病気を自覚していたはずだが──のある時、目の前で遠慮なく飲酒・喫煙している私に向かって、「おまえはいいな。酒も煙草も、我慢しなければよかった……」と呟いた(参考→「桜」への詫び状)。
煙草と付き合い続けるにしろ、別れるにしろ──親父には悪いが、また「人間的」というのはそうしたものだろうが──いつかどこかでそんな愚図愚図とした物言いをしたくない。ともかく私は五日間、煙草を喫わなかった。40年振りに、煙草を喫わない自分と向かい合った。これでふつうに煙草を喫う日常に戻ってしまえば、その「ビビった五日間」は存在しなかったような……いや、その日々が愛おしい、という気持ちが訪れた。
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喫わなくなって1カ月。今までのところ、それほどは苦しくなかった。よって、「禁煙」は少し肩肘張っている感があるので、「離煙」と言っておきたい。「セブンスター」から始まった私の煙草遍歴は、40年後「メビウス・インパクトワン」で終わった。もう充分に長い年月、私は煙草に付き合った。
「離煙」により失ったものは勿論ある。ちょっとした待ち時間や気分転換の一服だったり、接客や集中仕事から解放されたひとときの味わいだったり、コーヒーとの絶妙なコンビネーションが齎す憩いだったり……結局は「美味しい一服、その瞬間の快楽」に如かず、だろう。
よく色々な事柄で、「動機が不純だからこそ長続きする」と言う。内科医の見立て違いに発したちょっとした心理的な成り行きから、私は残りの人生を「離煙者」として生きようと決めた。その、きっかけの何でも無さが愉しいし、そのようなことからでも人生は変わる、と生きてみたい。
さて、その1カ月目の今日、日本たばこ産業株式会社から「MEVIUS OPTION RICH+」キャンペーンで新商品一箱が送られて来た。以前はこれが嬉しかったけどね。
もっと新しく、もっと驚きを──あまり巧いキャッチではないが、ともかく煙草よ、これから俺はおまえ抜きにそのテーマを目指す。
[6/11最終]