■小熊英二の「二つの国民」論 |
「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」、「正会員」とその家族、「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々だ。
この分断の顕在化は比較的最近のことで、雇用関連の雑誌記事の題名に「非正規」という言葉が使われたのは1987年が初出で、2000年代に急増する。単に臨時雇用というだけでない「どこにも所属していない人々」が増えたとき、「非正規」という総称が登場したとも言える。
彼らは所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間に、この社会は冷たい。彼らは関係を作るのに苦労し、結婚も容易でない。女性の7割は年収400万円以上の男性を結婚相手に期待するが、未婚男性の7割は年収400万円未満である。その結果、男女とも結婚できない。50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚者」は、2035年には男性で3人に一人、女性で5人に一人になると予測されている。
これは所得の問題だけではない。昔なら低所得でも、所属する企業・親族・地域の紹介で「縁」が持てた。所属のない人々にはそうした「縁」がないのだ。
こうした「第二の国民=非正規雇用」は、統計上は4割だが、実は急増している。低収入で家族もいない人が増加すれば、人口減少だけでなく、社会全体の不安定化に直結する。
それにも拘らず、「第二の国民」が抱える困難に対して、政策も報道も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからだ。
今も、既存の政党は、組織の意向を反映して、55年体制時代からの伝統的対立を演じている。新聞記事の大半は政党、官庁、自治体、企業、経済団体、労組といった「組織」の動向だ。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。政党も報道機関も、「組織人」と「著名人」しか相手にしない。というより、組織のない人々を、どう相手にしたらよいか分からないのだ。
所属組織のない人々が増えるにつれ、「支持政党なし」も増え、新聞の部数は減る一方だ。「第二の国民」にとって、新聞が重視する政党や組織の対立など「宮廷内左派」と「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだ。これは媒体が紙かネットかの問題ではない。
放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。これは、この文章を読んでいるあなたにも無縁の話ではない。
*
少なくともここ20年程の社会状勢を踏まえれば、予測できていたことではないか──そうも思える。だが、これだけクリアに言い当てられると、この国の未来に寒気がしてくるのも確かだ。
【追記】
6月5日の「朝日」記事によれば、世帯ごとの所得についての厚生労働省の調査で、1993年に3分の1程だった400万円未満の世帯が、2013年には5割近くまで増えた──中間層が減り、低所得者層が増えた──とのこと。同記事にはグラフが付いているが、これを見れば驚くしかない。2000万円以上〜400万円世帯までは2013年の方が減っているのだが、300万円以下の世帯は圧倒的に増えているのだ。
2013年以降もこうした傾向は変わっていないと見られる、とのことなので、現在、400万円未満の世帯は半数に達していることだろう。この中に上記「未婚男性の7割」のある部分も単身世帯として含まれているだろうが、こうした「第二の国民=非正規雇用」──さらに “非正規世帯” や “非正規家族” ──はいつまで現今の「政治」や社会システムに我慢しつづけるだろうか。
[書き掛け]