■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31] |
参考→ライオンとペリカンの会
→ライオンとペリカンの会・130回目の読書会:多和田葉子『エクソフォニー:母語の外へ出る旅』
吉田満(1923〜79年)は日本銀行の行員であり、作家だった。元戦艦大和乗組員で、主砲を一発も撃つことなく大和が沈没した坊ノ岬沖海戦を生き残った。作家としての代表作は『戦艦大和ノ最期』。
巻頭に置かれた絶筆「戦中派の死生観」(1979年)は4ページ弱、もうほとんど残り時間がなかったのだろう。それにはこうある。
戦後日本の社会は、どのような実りを結んだか。新生日本のかかげた民主主義、平和論、経済優先思想は、広く世界の、特にアジアを中心とする発展途上国の受け入れるところとなりえたか。政治は戦前とどう変わったか。われわれは一体、何をやってきたのか。
沈黙は許されない。戦中派世代のあとを引き継ぐべきジェネレーションにある息子たちに向って、自らのよりどころとする信条、確かな罪責の自覚とを、ぶつけるべきではないか。
写していて気持ちが良いので、もっと拾う。
反戦は言葉や思想というよりも、意志であり、行動である。戦争は一言でいえば国家間の武力抗争であり、反戦の本質は、国家権力そのものに対する敵対行為という点にある。したがって実行に移された反戦行為は、国家権力によって規制され、処罰されるのが通例である。反戦という行動の背景が、文字の形で記憶されることが少ない理由の一つは、そこにある。(略)
真の反戦は、戦争の性格や平和の条件の判断をこえて、絶対平和の立場に立つものでなければならない。正義の戦争ならば支持し、不義の戦争には反対するという立場が、過去も現在も有力であり、第二次世界大戦の骨格も、正義の側に立つ連合国の当然の権利として捉える見方が大勢であったが、戦後史の三十年は、この見方の正当性を裏付けてはいない。──「青年は何のために戦ったか」(1976年)より
背骨が通っている、と言うべきか。もう一カ所。
戦中派世代が戦後史の中で一貫してになってきた役割は、社会と経済の戦後の復興から発展、高度成長への過程で、常に第一線に立って働くことであった。黙々と働きながら、われわれはしかしそのことに満足していたわけではない。自由、平和、人権の尊重、民主主義、友好外交、そうした美名のかげにある実体はまやかしであり、戦後日本の出発には大きな欠落があることを、直感していた。にもかかわらず、そのことを公言するだけの勇気と見識が欠けていたことを、われわれは恥じなければならない。──「戦中の青年たちは何を読んだか」(1976年)より
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[装釘 安野光雅]
以上の文章が書かれたのは、1945年の敗戦より三十数年後。そして現在はそれよりさらに年月が経っているが、戦中派の感覚を述べた箇所は措いて、基本的な部分は、一切何の変更も必要ないどころか、「政治は戦前とどう変わったか。われわれは一体、何をやってきたのか」という言葉は、その痛切の度合いを増してさらにリアルなのではないか。
吉田満は、まさに私の父の年代。確かに私たちはこういう親父を持っていた(参考→いつの間にか父を超えていた)。吉田満、享年56──自分に向けて言おう、何の恥じるところもないか。
ちなみに本書発行元は、先週も取り上げた文藝春秋(→「人生に文学を。」広告の非文学的キャッチ・コピー)。帯のキャッチフレーズを打ち出してみる。
吉田満遺稿集
日本と日本人の生きることの意味を、戦争体験をたえず反芻しながら問い続けた「戦艦大和ノ最期」の著者の、戦中派世代の一人としての熱い想いは、この一冊に凝集されている──
天下の文藝春秋、36年前刊行の一冊。ユルくないか。「戦中派世代の一人としての熱い想い」、これで何事かを言っているつもりだろうか。もうあの戦争も吉田満も、ちょっと前の事柄──そう感じている感性の仕業。歴史というのはもっと怖いものだ。
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話は好きに飛ぶが、私が持っている『戦中派の死生観』は、1980年3月20日発行の第3刷(第1刷発行の45日後。現在は、文庫判の文春学藝ライブラリーに収められている)。私はこの本を、確か2005年、草香江(くさがえ、福岡市中央区)にあった古本屋「雄朋堂」(ゆうほうどう)で購った。店主は友人・高田雄造(1950〜2005年)。彼が亡くなる年に、その店で買った最後の本だ。
高田さん没後二十日程経って、当時交替執筆していた新聞コラムに私は下記の文章を書いた。
古本屋のおやじ
昼休みによく、近くの大濠公園を散歩する。たまに足を延ばして、草香江の古書店雄朋堂へ。店主はいつも、オッ、と小さく驚き迎えてくれる。
その店主・高田雄造さんが九月二十二日、肝臓がんで亡くなった。彼とはこの十五年間、ライオンとペリカンの会(HP有り)という集まりを持ち、現代思想・哲学や文学を学ぶ講演会、読書会を百回近く行ってきた。
高田さんは、九大卒業後、大学生協書籍部を経て雄朋堂を開業。人文・社会科学系が中心の棚、そして本の扱い方を見るだけで、その志操と心根の優しさとが窺えた。
三年近く前に手術後、「美しいものを見ておきたい」と、毎週休日、奥さんと山登りをしたりあちこちへ旅をした。余命が見通せず、店を畳もうか、ネット販売だけでも続けようかと悩んでいたが、“古本屋のおやじ” を全うした。最後の入院の直前まで仕入の手配をしていたらしい。五十五歳。団塊世代より若い。
私は今、自分がどれほどの存在を喪ったのか測ることができない。賛同者を得て遺稿・追悼集が作れないかと考えている。
(「西日本新聞」2005年10月9日、コラム「版元日記」)
コラムが掲載された翌日朝、当時所属していた会社に一枚のFAXが届いていた。それには、面識のない方から「私もその〔賛同者の〕一人に加えて下さるようお願いします。『貧者の一灯』のつもりです」という手書き文があった。
これはやるしかない。
高田さんの友人・知人に声をかけて刊行会を立ち上げ、醵金と原稿を募り、翌2006年、一周忌前に何とか遺稿・追悼文集『雨上がりの夜空に:雄朋堂高田雄造』〔高田雄造遺稿・追悼文集刊行会〕を出版することができた。
タイトルは高田さんのカラオケ愛唱歌から取り(「ビンビンだぜ…」)、装丁も私がやった(モデルのギターは本人のもの)。
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_20214213.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201608/02/17/d0190217_20214213.jpg)
さて、それからもう10年経った。
『戦中派の死生観』を買ったのは、古書市に行ったとかでたまたま雄朋堂店主が不在の時だった。後日、店番アルバイトが残した売上伝票を見て「ウチの客でこんな本を買うのは……きっと、あんただろうと思ったよ」と高田さんは言った。
それがどんな意味かは聞き忘れた。ただ、世に出て25年経ったものを古本屋で買い、11年振りに読書会のテキストとしてそれを読む、という巡り合わせには、やはり何ほどかの感慨がある、
▼在りし日の高田雄造と雄朋堂(『雨上がりの夜空に:雄朋堂高田雄造』より)
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_10175342.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201608/03/17/d0190217_10175342.jpg)
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_20105467.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201608/02/17/d0190217_20105467.jpg)
なお、同書は海鳥社の発売。まだ残部があるはず(本体2000円)。高田さんが書き綴ったブログ記事と店の客や友人・知人(評論家の加藤典洋氏も寄稿)による追悼文で構成。新刊書店と同じく、古書店が店舗営業からネット販売中心へと移り変わる時代の、一つの貴重な記録になっている。
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●26日 事務所ビルから(福岡市中央区)
ここにはすべては写っていないが、空を区切るように縦断しているので、飛行機雲の残滓だろう。ちょっとした情緒も、最早、ほとんど仕組まれたものだ。
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_218057.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201607/31/17/d0190217_218057.jpg)
胸を焦がすもの──それは見果てぬ夢か遙かな呼び声か、取り返しのつかない過去か。
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_2181369.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201607/31/17/d0190217_2181369.jpg)
●31日
先週、球果の写真を出した(→どうも雲が気になって……週替わりの夕暮れ[7/24])。このサイズで、あのメタセコイアか?
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_2183177.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201607/31/17/d0190217_2183177.jpg)
西日を受けているのはサルスベリか……最終的に自分で確定しきれない哀しさ。
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_2184888.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201607/31/17/d0190217_2184888.jpg)
アブラゼミとクマゼミとツクツクボウシの「自由唱」に送られつつ……。
![■『戦中派の死生観』、雄朋堂高田雄造、そして週替わりの夕暮れ[7/26・31]_d0190217_219238.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201607/31/17/d0190217_219238.jpg)
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