■『北九州・京築・田川の城』の紹介記事が出て |
その後も続き、受話器を置いた途端に次の呼び出し音が鳴るという時間帯もあり、昼までに十数本の電話が入った。大半が中高年の男性(勿論、北九州市在住)。
妙に感心(?)したのは、クエスト小倉本店などに本を置いてもらっているのだが、折角電話をいただいているので手っ取り早く「直送しましょうか?」と言うと、やはり現物を手に取って見てみたい(見てから買う)と言う方が多かったこと、それと、後で著者の中村さんと電話で話したところ、記事を見たと言う面識のない人からの電話が中村さん宅に何本か入っていたことだ。
前者についてはまあ分かるが、後者の、著者宅の番号を調べて直接電話を掛け、「あの辺りの城の話は載っているかね?」などと聞くなんてことは今時あまりしない……だろうけれど、私も北九州出身なのでそのへんのざっくばらんさはよく分かる。何……個人情報? あなたは(公に)本を出版して、新聞記事に顔も出していたよね──てなもんだろう。余計な応援だが、北九州人、怯むな! 何……マイナンバー? 勝手に人に番号を付けるな!
参考→戦国史を歩く──『北九州・京築・田川の城』
参考→『北九州・京築・田川の城』表紙写真撮影行
さて、その記事を書き写しておこう(切り抜きをそのまま掲げるのは御法度)。
半世紀かけた城郭研究──八幡西・中村さん 集大成を出版
八幡西区の城郭研究者、中村修身さん(69)が、半世紀にわたる研究の集大成として執筆した『北九州・京築・田川の城──戦国史を歩く』(花乱社)を先月、出版した。県東部にある戦国時代の約40の城について、現地調査と古文書研究により歴史的意義を明らかにした。山中の道なき道を歩いて新発見した遺構も紹介しており、城の研究者のみならず登山愛好家からも注目されている。【高芝菜穂子】
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中村さんは別府大史学科卒業後、1971年に北九州市に入庁。長年、埋蔵文化財の調査などに携わり、現在は北部九州中近世城郭研究会の名誉会長を務める。大学時代に訪ねた大分県宇佐市の高森城で、堀や土塁の大きさに感動し城の魅力に取り付かれた。以来半世紀にわたり、ほぼ毎週末、各地の城を訪ね歩いた。その数は九州、中国地方で約1000に上る。
本はA5判、172ページ。城が多数建築された戦国時代に焦点を当て、小倉城(小倉北区)、花尾城(八幡西区など)、香春岳城(香春町)など北九州、京築、田川地域の歴史を語る上で重要な城を選んだ。石垣や土塁、堀など城の遺構を測量して記した城の規格図「縄張り図」を掲載し、城の意義づけを古文書を調べて裏打ちした。
中村さんが新発見した遺構も紹介しており、その一つが馬ケ岳(行橋市など)にある。豊前支配の要となる重要な城で、豊臣秀吉も滞在。黒田勘兵衛も一時期、本城としていた。中村さんは15年ほど前、馬ケ岳城の北部に、それまで知られていなかった土塁や横堀を発見。従来考えられていた大きさの約100倍の巨大な城だったことを指摘した。秀吉の力を誇示するため、その影響下にある武将が大増築したとみられる。
中村さんは「当時の人々がどういう思いで城を造ったかに思いをはせ、戦国史を楽しむきっかけにしてほしい」と話す。
出版については、登山愛好家も歓迎する。戦国時代は多くの城が山の上に築かれたが、ほとんどは江戸時代には廃城になった。日本山岳会北九州支部では、会員からの要望で、城跡のある山を登る機会も多い。企画担当の同支部会員、丹下治さん(75)=門司区=は「中高年が好む地元の山には、昔、城があった場所が多い。歴史的な背景がわかると、より山が楽しめる」と話す。
もう1本、8月14日「西日本新聞」読書面での紹介。
旧豊前国を中心に点在する40カ所近くの城の歴史や機能を紹介する。在地を守り、攻めるための軍事施設である「城」、政治経済の要であり領主の住まいともなる「館」─「城」の性格は一様ではない。筆者は膨大な文献や研究をひもとき、丹念に現地を巡り歩く。
江戸時代、幕府の政策で「一国一城令」が施行されると、数多くの城が打ち壊された。図版や写真を交えて紹介する「城」の中にはほとんど痕跡が残っていないものもある。〈途中、道は無いに等しい。充分に注意して登城されたい〉。今や、往時の城館の代わりに鉄塔群がそびえる城跡もある。
〈戦争施設であるのと明らかに異なり(略)地域経済と文化と政治を担う近世的な城郭都市の機能を備えつつあった〉と指摘する小倉城(北九州市小倉北区)では、築城に携わった人々や作業の様子をはじめ、謎多き武将高橋鑑種との関わりや、細川忠興時代の改築などをつづっている。
著者は、1946年北九州市生まれで同市在住。現在、中津市城館調査指導員会会長、北部九州中近世城郭研究会名誉会長などを務めている。
それに、今日24日、「西日本新聞」1面に広告を出した。
新聞記事が出て、広告も出して──「止まっていた時計が今動き出した」(ZARD→ちょっとZARD のことを)ように、(小社にしては)どんどん注文が来る。
時折私は、「そんなに売れなくてもいいよ」とかなんとかほざいたりもするのだが、それなりの情報が伝われば「本が欲しい」という人がやはり居て、注文が来ればやっぱり出版社として嬉しいということを、我が故郷の同輩たち(失礼!)が教えるために電話してきてくれたようにも思う。格好つけてる場合じゃないよ、と。
●さらに追記[9/26]
その後、大変嬉しい読者カードが返ってきた。
戸畑区在住、50歳の男性から。
私は数年前から山城に興味をもち、身近な県内の山城に関する資料・文献を集めています。毎日、戸畑から田川市に車で通勤していますが、山城の歴史を知ることで、その途中の山々がまったく違ったものに見えてきて、郷土史に思いを馳せながら、楽しく通勤できるようになりました。
これまで収集した文献の中でも、今回の中村先生の書籍には大変感銘を受けました。図や写真を使った詳細な遺跡・縄張り調査の説明と、文書資料に基づく歴史記述がバランスよく盛り込まれ、大変わかりやすく、興味をさらにかきたてられました。
科学的・客観的に探求されている点でも信頼できる書籍だと感じました。これからもますますご活躍され、先生の研究成果が世に出ることを心待ちにしております。
全文をそのまま書き写した。読者カードの裏と表のスペースを使い、この通りに書かれている。ちょっと褒めすぎ……などと私が言ってはいけないが、中村さんご自身も恐縮されていた。
ともあれ、きちんと本を読んで下さる読者がいて、こうした評価をわざわざ伝えていただけるのは有難いことだ。著者と読者、互いの顔が見える規模の出版──これを大切にしたい。
→花乱社HP