■それは夢のようにまるで嘘のように──週替わりの夕暮れ[9/13・22] |
ふと眼を上げて、常時降ろしたブラインドの隙間から、赤や黄色の強い光が私を呼んでいることに気づく。
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夕焼け雲はいつも、こんなことをしている場合ではない、と私の胸を焦がす。では、こんなことをしている場合のそれは、一体どんな場合だ? 事務所ビル(福岡市中央区舞鶴)から。
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●22日
それは夢のようにまるで嘘のように……始まるシーンが、いつか、いくつか、人生にはある。だから、或いは、だけれども、生きていこう──そういう覚悟を学ぶことが、人生の初手(しょて)の時にはとても大切だったはず。
![■それは夢のようにまるで嘘のように──週替わりの夕暮れ[9/13・22]_d0190217_2143388.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201609/22/17/d0190217_2143388.jpg)
西ノ堤池(福岡市城南区)は、秋の虫の世界だ。春も夏も、池畔のあちこちでずっと虫が鳴いていたことは知っている。春から秋・初冬まで──こんな街なかではコオロギが大半だとしても、世代交代をしつつなのか、それともメンバーもそこそこ変わりつつなのか。
![■それは夢のようにまるで嘘のように──週替わりの夕暮れ[9/13・22]_d0190217_2147416.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201609/22/17/d0190217_2147416.jpg)
深夜、録画していた『初恋』(監督:塙幸成、主演:宮﨑あおい、2006年)を観た。ストーリーはどうでもいいけれど、言ってしまえば、1968年に発生した三億円強奪事件についてメルヘン的解釈を施した映画。
宮﨑あおいも悪くはないが、少女の意味不明な揺らぎとふてぶてしさを演じようとするなら、とっくに桃井かおりと秋吉久美子が乗り越えがたいモデルを作り上げている。それでも、年々次世代のオヤジたちが登場し、新たな永遠の少女像を追い掛けることになる。
エンドロールで流れるのは「青のレクイエム」──私は漸く元ちとせと出会えた気がする。
「ワダツミの木」は確かにいい。心地よいリズムとゆったりとした歌唱。感性はむしろ台湾に近いという感触がを持つが、こちとらが(この国の中でも)九州の人間なら何かを共有させてもらえそうな……でも、やはり一筋縄ではいかない。──それが、これまでの私の元ちとせイメージ。
それが、この「青のレクイエム」の静謐さは只事ではない。60年代末の世相と風俗の中の、一組の男女。三億円強奪事件と(相互が非対称と言うしかない男女の)初恋──その奇妙な取り合わせを、最後に元ちとせが「青のレクイエム」で歌い上げる。そこで葬送されるのは何だろうか。
青のレクイエム 作詞:岡本定義
それは夢のようにまるで嘘のように
残酷な朝はすべてを奪い去った
やがて空の底につめたく沈むように
息絶えた月は静かに消えていった
一滴のメロデイーをオルゴールは繰り返す
掌に零れゆく調べ
暖めてほしいと誰に言えばいい ?
凍えた体を抱きしめてほしいと
どんなに願っても祈っても叶わない
この愛はもう
一片の優しさを砂時計は落としてゆく
涙さえ凍りつく場所へ
行かないでほしいと素直に言えたら
溢れる想いをただそばにいたいと
心が叫んでも嘆いても届かない
この声はもう
還らないこの愛はもう…
[書き掛け]