■東アジアの中の福岡・博多 Ⅱ──『福岡地方史研究』第54号 |
振り返ってみれば、それまでは純然たる同人誌として「会員配布+一部を特定書店に販売委託」していたが、私が前に所属していた会社で第40号から制作・発売を引き受けることになり、第48号まで継続、第49号からは花乱社に移管、通して数えれば、私が担当してこの第54号で15年になる。
この15年間分しか視野に入っていないし、また、今の時点で15冊分の内容を見渡すのはなかなか難しいが、掲載原稿のヴァラエティーと質において、本号はとても充実した内容になっていると思う。

まずは目次。
【巻頭言】重層する福岡[石瀧豊美]
【特集】東アジアの中の福岡・博多Ⅱ
文化度朝鮮通信使と小倉藩主小笠原忠固:上使任命の背景と昇進運動[守友 隆]
戦時期の日本における朝鮮人労働者についての再検討
:世界遺産への登録で浮上した論点をめぐって[宮地英敏]
武田範之序論:天佑侠の位相[師岡司加幸]
七里恒順の排耶と中国語版キリスト教書籍[鷺山智英]
渡り陶工高原五郎七について[副島邦弘]
福岡藩相島通信使関連史跡調査の近年の成果
:享保四年七月二十四日大風破船・溺死を中心に[今村公亮]
【論文】
幕末久留米藩における田中久重の大砲製造(上)
:在来技術により造り上げられた施条後装砲[河本信雄]
【研究ノート】
上杉本洛中洛外図の成立について:佐々木哲の説の紹介と検討[寺崎幹洋]
福吉村全村学校と松本学[首藤卓茂]
局地戦闘機震電(J7W1)[髙橋愼二]
【研究余滴】
姫島紀行:島定番役宅を探す[有田和樹]
和算よみとき始め[後藤みどり]
【歴史随想】香椎宮の鶏石神社について[竹川克幸]
【郷土料理】筑前鐘崎の地域食ノオサバ[牛嶋英俊]
不破保氏のご逝去によせて[梅本真央]
熊本地震被災神社の復興を願って[安藤政明]
加藤司書・中野正剛慰霊祭への参加報告[浦辺 登]
第9回 金印シンポジウム報告[古賀偉郎]
本の紹介:『頭山満伝』を読む[師岡司加幸]
短信往来[伊豆幸次/植田謙一/大野会美子/長谷川隆史/藤野辰夫/松浦宇哲/山下龍一]
編集後記[松岡博和]
次に、特集の前置きも兼ねているので会長による巻頭言を、それに編集態勢が変わり新編集委員長となった松岡氏による「編集後記」(一部略)を。
●重層する福岡 石瀧豊美
今号の特集は「東アジアの中の福岡・博多 Ⅱ」。福岡・博多は本来は江戸時代の地理区分で、那珂川をはさんで城下町福岡と、かつての自治都市博多が東西に相対した。現代で言えば福岡市中央区と博多区の各一部。「武士の町福岡」「町人の町博多」と対比するのは間違い。博多は秀吉の決まりによって武士は住んではならない(黒田家はそれを尊重した)。だから江戸時代は博多の住人の全てが町人身分に属した。城下町福岡には他と同様に武士の住むエリアと町人の住むエリアが存在した。つまり、「武士と町人の住む福岡」と、「町人の住む博多」と言うなら正しい。両者をさして福博と言うが、江戸時代は両市中。福岡を市中、博多を津中と呼んで区別した。
ふたご都市とも言われることのある福岡と博多が合併して、明治二十二年福岡市が誕生した。博多を内包する「福岡」という概念の誕生だ。一方、これより先、明治四年の廃藩置県によって第一次福岡県が成立した。これは旧来の福岡・博多より広い黒田家支配の旧藩領全域である。藩の名称は筑前藩・黒田藩などの表現もあるが、正式には城下町の名を藩名とするので、福岡藩であり、それを解消して福岡県となった。
この時は筑前には秋月県もあったが、やがてこれを包含した第二次福岡県となり(筑前全域)、その後、三潴県(筑後国)や小倉県(豊前国)の一部を包含して現在の福岡県となる。「福岡」という概念の拡張であり、「福岡」の意味するものは常に地理的イメージが重層した。融通無碍で、博多湾は同時に福岡湾でもある。
福岡市に行くのに博多駅まで切符を買う。かつては本州の人たちを悩ませた。初代の博多駅の施設は原・博多の南端をかすめるように上辻堂町から出来町方面に置かれた(今、「九州鉄道発祥の地」碑の建つ出来町公園がある)。名を付けるには福岡駅より博多駅がふさわしかった。
特集名の「福岡・博多」も、地理区分を限定するものというより、おおまかに旧福岡藩、もしくは現代の福岡都市圏ぐらい、時には福岡県をイメージしてもらうといいだろう。
●編集後記
「前号に引き続き〈東アジアの中の福岡・博多〉を特集した。今年はユネスコ関連で、〈東アジアの中の福岡〉を印象づける動きが二つあった。まず一月末、〈『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群〉の世界文化遺産への推薦書(正式版)がユネスコ本部へ提出された。〔略〕
もう一つは、江戸時代に朝鮮王朝が日本に送った朝鮮通信使。同使節は最後の十二回目を除く毎回、筑前相島(糟屋郡新宮町)に寄港し福岡藩が迎えている。日韓両国に所在する関連資料が本年三月、「両国の歴史的経験に裏打ちされた平和的・知的遺産」として、平成二十九(二〇一七)年の登録を目指し日韓の推進団体合同でユネスコの世界記憶遺産に申請された。福岡県立図書館所蔵の黒田家文書の中から「朝鮮人来聘記」などが含まれている。かつて当研究会の古文書を読む会がこれを翻刻し『福岡藩朝鮮通信使記録』(全十三巻)として刊行した。朝鮮通信使が見直されようとしている今、翻刻が活用されれば幸いである。」(松)
参考→福岡地方史研究会の新年会における秀村選三氏
→花乱社HP