■香港──朝焼け・夕焼け・港の夜景[1.2-5] |
![■香港──朝焼け・夕焼け・港の夜景[1.2-5]_d0190217_1257837.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201701/08/17/d0190217_1257837.jpg)
「香港には何があるんですか?」と訊ねられたのは40歳の女性から。えっ? と窮した私は逆に聞き返した。「では、あなたの『香港』イメージは?」。「……すぐに出てくるのは、ジャッキー・チェン」
ああ、そうなのか、と私は思うしかなかった。
「東洋の真珠」とか「魔窟」とか言われていたのは、それほど昔のことではない。かつて海外旅行と言えば、「一生一度」の新婚旅行でハワイかグアム、ようやく1ドルが100円台となった1986年以降でも、アジアでは香港というのが通り相場だった。まだ中国本土は得体が知れなかったし、1990年頃までは軍事政権下だった韓国も気軽に行ける国ではなかった。唯一、香港──ブランド品を割安で買おうとして、どれほどの日本の若い女たちがペニンシュラ・ホテルのショッピングアーケードを走り回ったことだろう。
また、古くは『慕情』、近年では『花様年華』などで、東洋的なエキゾチシズムの象徴的世界として、「香港」は多くの映画に描かれてきた。現代では、東アジアにおける経済・文化の先進地域としての顔もあるだろう。
そして、租借地として99年間のイギリス統治を経て、1997年に中華人民共和国に返還されたこと。
──さて、たかだか四日間の旅行で、私は何を観ようとするのか。
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●一日目
珍しいものではないかも知れない。だが、大空を埋め尽くした鱗雲──これまでの人生で何十回(いや何百回?)観てきただろうか。この、ひとときの戯れの如き自然の造形。
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多島海の様子から、如何にも香港にやって来たという気持ちになる。香港島、九龍半島、新界および周囲に浮かぶ230以上の島を併せて「香港」と言う。
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このビル階上からのぶら下がり物こそが中国世界。
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すぐに気になるのが道路・交通事情。圧倒的に日本車が多い(特にトヨタ)。それ以外で目立つのはベンツ。タクシーなんぞは見掛けた限り「クラウン コンフォート」のようだ。日本でもお馴染みなので全く違和感がない。
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空港─ホテルの送迎を担当してくれたガイドの周氏が、バスに乗ってしばらくして、「皆さん、ここまでの間、香港で何台の自転車を見ましたか?」と。そう言われれば、自転車はほとんど意識や視野に入っていなかった。そもそも土地が狭い香港では住宅内に自転車を置くスペースがなく、自転車を所有していること自体が金持ちのステータスである、と。
いわんやバイクということでは、走行中の写真は幾分珍しいかも。ベトナムと足して2で割ればどうだろう、などと詮無いことを思った。
参考→“東洋のパリ” はスクーター・サーキットだった──2〜6日・ハノイの旅
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さて、(それほど高価そうでもない)バイクのこの街角での「大事宝(だいじたから)」にされ方は、他の東/東南アジアではなかなか見ない光景だろう。エイリアンやモンスターの襲来(ここでは盗難)を、健気にも固まってはねのけようとする人類──といった印象。
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送迎バスは順繰りにホテルを巡る。
九龍半島西側のリッツ・カールトン・ホテル前より、普請中の海岸地域と香港島を眺める。
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佐敦地区の男人街(廟街)。私は香港4回目。女人街は前に訪れたがここは初めて、というより通称の通り名が新しいのでは? 昼間は何もない通りが、夜は一変する。取り立てて如何にも “男性向け” グッズが置いているというふうでもなかった。
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プレート屋か。「NO FART IN CAR 車内厳禁放屁」というのもあるが、「HAPPY BIRTHDAY 生日快楽」がいい。
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男人街のはずれは、路上にまでせり出した飲食店。まずは啤酒(ピーチュー)、つまみは蒸し鶏、小龍包、空芯菜炒め。
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ネイザン・ロードの歩道のイルミネーション。どこか気が入ってなくて、まるでここは「中国」みたいだ、と思ってしまった。
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一日目の夜景は、ほんのさわり程度に。
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●二日目
ホテルの部屋からは、ヴィクトリア港を挟んで九龍半島(左手。ホテル側)と香港島(右手)双方が臨めた。雲間から朝日が覗く。
二番目に掲げた「香港中心部」地図では、私が泊まったホテル(ハーバーグランド九龍)は九龍半島中央よりやや右手(東側)海岸に位置する。私はそこから、東側の狭まった海(海峡)を眺めて過ごした。
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今回は半日強のツアーが付いていて、最初に訪れた春秧街マーケットは活気に満ち、実に良かった。さしもの香港も、これだけの洗濯物干しの光景が一望できるアパートも珍しくなったようだ。
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中国人は四つ足のものは椅子を除いて何でも食べる、という言い草を思い出した。
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茄子の色合いが新鮮に感じられた。
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香港島側だけで走っているトラム。なかなか爽快だ。停まるまで席から立ち上がらないで……なんぞのアナウンスがあるはずもなく、疾走する電車内で2階席から狭い階段を下るのは、なかなかスリルがある。そう、いつだって自分の身は自分で守るに如かず。
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この落書きスタイルは万国、少なくとも東アジア共通か。もっと盛大でカラフルに塗りたくられた場所もあった。「得物」たる壁や降りたままのシャッターを探し求めて、街をうろついているヤツが居る。
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通りがかりの、一瞬の光景。
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香港観光の大定番、アバディーンの水上レストラン前。たくさん係留中の大型ヨットの間を、水上生活者の暮らしを有料で覗かせるサンパン船が行き交う(欧米人の関心が高いようだ)。
ガイドの周氏は、「あれが香港で2番目の金持ちが所有するヨット」と指差した。そして、こうしたヨット所有者がどんどん増えて、港が手狭になったことで、水上生活者の存在が問題とされるようになり、近いうちに船での水上生活が禁止になる、と。決して告発調の口ぶりではなかったが、後でもそれぞれの現場で「香港一の金持ちの戸建て住宅」だとか「3番目の金持ちが建てたマンション」だとかにも触れた調子からして、この人は相当に正義感や義侠心の強い庶民派だと見受けられた。
また、最初にバス内で話し始めるや否や、最近は大陸からの観光客が大勢押し掛けて来ていること、そしてそのマナーがひどいと言っていたが、後で私は、その実態を何カ所かでつぶさに実見した(トイレ個室内のレバーが何のためにあるのかを知らないのか……)。
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夕刻から、ホテルの部屋でヴィクトリア港を眺める。
ふと、ピンクの灯りが一つ──。そいつはしばらく孤独だった。香港はこのように暮れてゆくのか。
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●三日目
そう、これはヴィクトリア港の朝。何かが遙かな海を越えてやって来そうな……。香港四日間で、私は少し朝焼けファンになった。そこにはきっと、川上信也さんの最新写真集(『阿蘇くじゅう 朝の光へドライブ』)の影響もあるだろう。
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地下鉄では一日券を随分と活用させてもらった。地下鉄車内では人間を観るのが愉しい。座席(下部)はステンレス製なので、スルスルとして次第に腰が前にせり出てしまうのが落ち着かない。
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『an・an』香港特集号の薦めで覗いた、商業ビル内の陶器工房兼店舗。私がうっかり割ったラーメン鉢一つを購いに行ったのだが、全体で50坪以上はあろうかというスペース内、そのランダムな積み上げ方に感心するのと同時に、ここでもやはり香港の物価高を軽く思い知らされる。このモノが溢れるグローバル時代、旅中の買物はいつも、みみっちくも「日本でもっと安い輸入品が売られているのではないか……」という想いとせめぎあう。勿論私は、旅で購うのは品物だけではない──思い出も──と考えているが。
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中華世界では有名なビル工事現場の竹組みの足場。どんな狭い場所でもスピーディーに掛けられるし、安上がりで安全、という話。足場職人はいい手当をもらえるらしい。
これまでそれほど感心したことはなかったが、この足場に見られる基本の考え方、その強度と合理性はなかなか侮れないのではないか。これがもっと近代的なビルだったら、この足場の有機的手作り感が際立つ。
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さて、香港観光の白眉・ヴィクトリア港の夜景。
黄昏──この時間帯がやはり素敵だ。周りで溜め息をついている、民族入り交じった観客を見ると、この光景は万国共通だと分かった。
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ツアー特典として付いていたのものの一つが、ジャンク船(左手のがそう)に乗ってのヴィクトリア・ハーバー・クルーズ。香港の夜景をこれほど眼前に観ることになるとは。
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半時を過ぎると、きらびやかな光にも流石に少々飽きてくる。
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湾岸に観覧車があることは知らなかった。
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●三日目
たったの三日間の滞在だったが、この窓辺を去り難い。
![■香港──朝焼け・夕焼け・港の夜景[1.2-5]_d0190217_1301077.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201701/08/17/d0190217_1301077.jpg)
経由地・台湾桃園国際空港の寝惚けた夕暮れ。
![■香港──朝焼け・夕焼け・港の夜景[1.2-5]_d0190217_12595357.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201701/08/17/d0190217_12595357.jpg)
1981年、91年、96年、そして今回と、これまで4回、香港を訪れた。1981年のは「桂林・広州・香港周遊七日間」ツアーに一人で参加、私にとって初めての海外旅行だった。1991年は湾岸戦争勃発直後で、香港到着時点で私たち夫婦は、他に誰一人ツアー客が居ない(キャンセルしたのだろう)ことを知った。1996年のは、香港返還8カ月程前のこと。
今回の旅はフリータイムが大半で、何度も地下鉄それに鉄道にも乗り、中心部は相当に歩き回った(おそらく一日2万歩程)。そういう行動をしないと、やはりその街の様子は分からないし、自分の中の「地図」も出来上がらない。
勿論、三泊四日の旅で感じ取れるものは僅かだ。私にはうまく区別できないが、ガイドが言っていたように、街の中に大陸から来た人間が溢れているのだろう。今後さらに “中国化” は進むことだろう。たまたま飲食店で隣り合わせる──牛肉麺の人気店では30分待って、小さな丸テーブルに混ぜこぜで8人が坐らされた──とかで袖すり合った香港の若者は、純朴そうではにかみ屋さんに見えた。台湾と共通しているように思うが、そうした若者たちが真の「自由と民主」を勝ち取る時代が、本当に来てほしいと思った。
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