■『阿蘇くじゅう・朝の光へドライブ』紹介記事と読者の声 |
朝もやの中、車のエンジンをかける。フロントガラスに映る阿蘇やくじゅうの山々。そのシルエットをたよりに、どこまでも続く高原の一本道をすべるように走り始める。車窓の向こうに広がるのは、草原、森、山々。カッコウの鳴き声が聞こえてきた──。写真家は、そうやって阿蘇やくじゅうを車で走りながら、草原や森や山々が見せる一瞬の表情を切り取ってきた。
朝焼けの空にかかった虹、路上にたたずむシカ、春の訪れを感じたのか静かに顔を出すユキワリイチゲ。登山してたどりつくような特別な場所ではなく、車で気軽に行ける場所にある “普段着の自然” の中に、力強く優しい美しさを見いだしている。
写真家は1971年生まれ。福岡大を卒業後、大分県・くじゅうの山あいにある法華院温泉山荘に5年間勤務し、その後、福岡市を拠点に写真家として活動する。
この記事、ちょっと意外だったのは、添えられた写真がユキワリイチゲだったこと。新聞の印刷が1色だから、ということではあったが。渋い選択だ。

『ぐらんざ』2月号では六百田麗子さんが書評を書いて下さった。
●阿蘇くじゅうの朝の交響曲を写真集で聞く 六百田麗子
新春、まず手にとったのは、一冊の写真集。福岡在住の写真家、川上信也さんの『阿蘇くじゅう・朝の光へドライブ』という詩集のような写真集である。添えられた短い文章とともに一枚一枚写真を眺めていると、どこまでも深い宇宙の広がりに落ちるように吸いこまれてゆく不思議な感覚になった。
高原の風に吹かれる樹々のそよぎが耳に届き、下草に宿る朝露は宝石のように光っている。古代からかわらぬ月光は、満開のコブシのひとつひとつの花をランプのように灯らせ、あたりを照らす。林道を横切る鹿やキツネの眼に見つめられ、おもわず朝焼けに染まる阿蘇の山中に、私もまたまぎれこんだ気分になった。
「撮影を続けたこの三年の間、この地域は大規模な噴火に二度、そして大きな地震という災害に見舞われた。多くの人たちが大変な思いをしながら復興をすすめている。今はとにかくここに来てくれるだけでも大きな復興の力になるという地元の声に押されて、以前とかわらず足を運び、写真を撮り続けている」とあとがきに書いている。
写真集を発行して阿蘇くじゅうの自然の風景を心から祝福すること、それが写真家川上信也さんらしい災害地へのエールなのだと思った。
六百田さんは、本の情報誌『心のガーデニング』の編集人。
とても気持ちの籠った美しい文章で評じて下さった。本の著者にとって、こういう書評は最高に嬉しいはず。妬けてくるほどだ。
*
本文から、文章付きの写真を3点掲げておこう。
参考→阿蘇とくじゅうの現在を伝える写真集──川上信也『阿蘇くじゅう・朝の光へドライブ』刊行
青い大気に包まれる夜明け前。
車の窓を開けると、
キーキーキー……
トラツグミの寂しげな声が森から響いてくる。
まるで輪唱するように数羽が呼びかけあい、
木々の影はじっと耳を澄ませている。
満開のコブシは一つひとつの花がランプとなり、
色のない山肌をほんのりと照らす。
春の静かな調べとともしび。

ここ数日、高原の木々は、
鳥たちの歌に目覚めたかのように
緑の傘をいっせいに広げはじめた。
降りそそぐ朝の光が澄みきった大気にふれ、
さわやかな香りが漂っている。
光、音、香りが高原に添える、
美しいハーモニー。

フロントガラスの向こうに、
あかね色の空が広がる。
ヘッドライトを消して外に出てみると、
池を覆う霞が薄いヴェールを
草原に広げてゆくのが見える。
静寂に包まれていた世界が
プチプチと弾けるように目覚め、
草の香りの中からカエルの合唱が聞こえる。

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読者カードも紹介しておきたい。
●「撮影旅行」を夢見、「車中泊」に憧れ、阿蘇の復興を祈願する私としては、買わずにはおられない一冊でした。どの写真も、朝の凛とした空気があり、涼風や霜の感触を感じる臨場感がありました。「いつか自分も」と思いつつ、一人、リビングや寝床で何度も見返します。(男性、35歳)
●大好きな阿蘇、久重の写真集。毎日、いやされてます。(男性、56歳)
●御本の内容は作者本人の御人柄がにじんで出ており、素晴らしい出来映えです。私も写友仲間です。今後の御活躍を祈っています。(男性、80歳)
→花乱社HP