■みんな寂しさがなせるわざなのか?──週替わりの夕暮れ[2/19] |
最近少し話題になっている『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)を読み始める。
序章で平田は、金子光晴の「寂しさの歌」という詩を取り上げている。
遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもつてきたんだ。
君達のせゐぢやない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあつて、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになつて。
誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まつくらになつて、腕白のやうによろこびさわいで出ていつた。
……
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまつて、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
この詩に続けて、平田は三種類の寂しさを語る。
さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
(略)
しかしきっと、何より難しいのは、三つ目の寂しさに耐えることです。
一五〇年近く(短く見積もっても日清戦争以降の一二〇年間)、アジア唯一の先進国として君臨してきたこの国が、はたして、アジアの一国として、名誉ある振る舞いをすることが出来るようになるのか。
その寂しさを受け入れられない人々が、嫌韓・嫌中本を書き、あるいは無邪気な日本礼賛本を作るのでしょう。
この国の寂しさ。齢を重ねたせいだろう……その言い方だけで、平田がこれから何を言おうとしているのか分かってしまう気がする。この、アジア大陸東岸沖の島嶼に生きる者の寂しさ。
さて、我らが──名誉ある振る舞いをすることができるようになるのか。今、周りを見回して、そういう友人や知人が居るかどうか。いや、何よりも、自分がそのように生きているかどうか。
[多分、書き掛け]
*
今日のウォーキング中に。
夕空を切り裂いていく白い航跡。いや、集中砲火の始まりかも。
明日の天気を予想させるが如く、雲がゆっくりと集まり始める。
とっぷりと暮れる、そのほんの少し前。
自分もどこかに身を隠さねば、という心持ちになる宵闇。