■「道のしらなく」、そして独立独歩の道──藤井綏子さんの山吹 |
まだ少し右膝の状態が気になるのでこの連休は新緑登山を諦めたが、途中、くじゅう長者原のタデ原湿原に寄り、ほんのちょっぴり山の気分を味わう。

湿原に渡された木橋を歩く人たち。時々は、こうした大きな風景の中に身を置きたい。

水汲みは翌朝にして、泊まりは勿論、湯坪の民宿・叶館(かのうかん)。ここにお世話になるのは、もう30回と言っていいだろうか。
テラス庭に立つと、「帰ってきた」という気分になる。


庭の向こうでは、いつもの泉水山が出迎えてくれる。

廊下横に植わっているシャクナゲ。この花をじっくりと見るのは初めてだ。

ちょうど1年前も私はここに泊まり、その後すぐに、叶館を始められた藤井綏子さん(1931-96年)について3本の記事(九重町「叶館」と藤井綏子さんのこと①〜③)を書いた。
①秋の美しさと恐ろしさと[2016/5/4]
②約束の地/山の声[2016/5/5]
③『古今集』から[2016/5/7]
その記事にネット上で偶然遭遇した常連宿泊客の人から、「ずっと不思議に思っていた叶館のことがよく分かりました」などといったメールをもらったり、その後も上記3本が、私のブログ中でアクセスランキング・ベスト10の中に出入りを繰り返していることなどもあって、ここに来るとやはり藤井綏子さんのことを思い返してしまう。

露天風呂傍に咲く山吹。ここで何度も見てきたはずなのに、改めて「そうか、これこそが山吹色か……」などと独りごちる。
山吹色──英語だとmarigold、bright yellow、golden yellow。自分で装丁や本文デザインをする際、私はよくこの色を使う。
黄色ともオレンジ色とも近いようで異なるが、かといって山吹色は決して中途半端な存在ではなく、独立独歩の色と言っていい。もし、そもそも山吹色が「無い」としたら、私たちの暖色レパートリーはどれほど寂しいことか。
私も編集のお手伝いをした、没後刊行の『九重・山麓だより 山庭の四季 5』で、藤井綏子さんはこの花について触れている。
山 吹
雨の日、蓑を貸してくれと来た人に、家の女性が山吹の一枝をさし出し、「七重八重花は咲けども実の一つだに無きぞかなしき」と歌を詠み、断った(“蓑” を、“実の” にかけた)、という有名な話がある。が、山吹を見てわたしがすぐ思い出すのは、この歌ではない。『万葉集』中の、穂積皇子が愛人但馬皇女の死を悼んだ挽歌である。
山吹の立ちよそいたる岩清水汲みにゆかめど道の知らなく
死者の世界のことを、黄泉の国という。その “黄” を山吹に重ね、皇子は死んだ皇女を偲んでいる。山吹が咲いているそこには、岩清水がありそうだ。が、それを汲みに行こうにも、道が分からない……。皇子の、皇女への思いが真摯であったればこそ、こんな歌になった、と感じられてならない。
うちの庭にあるのは、すでに亡い母が、筑後川中流域の町から持って上がってきたものだ。だからこの花を見る時、わたしは無意識に母を偲んでいる。これは八重というか、ともかく花びらのふさふさと重なった花をつけるものだ。そのせいというのではないけれど、先の蓑の歌のこともあって、山吹の花は八重、と長い間思い込んでいた。が、この山中に住むようになって本物(原種?)の山吹に接した。十三曲り峡谷を降りきった谷川すじに、季節になると道に垂れかかるように、黄金の花枝が明らむ。それが山吹で、しかも愛らしい一重である。一重の花を好む性分から、さっそく枝を折り取り、持ち帰って挿し木してみた。が、手をつくしたにもかかわらず、着かなかった。二度、三度と試みてみたが、成功せず、諦めた。一重だと、実がなるのではないか、とも思うが、まだ確認はしていない。それより、峡谷も整備(?)が進んで、自生一重山吹の列が年々短くなっているのが、気がかりだ。穂積皇子の歌の山吹も、多分この種のものだったと思われるのだけれど。
せいぜいわたしは、庭の八重山吹を大切にしていこう。華やかなことでは、一重よりこちらの方が優るのも事実なのだから……。

(文=藤井綏子・絵=藤井衞子『九重・山麓だより 山庭の四季 5』1996年より)
山吹にも一重と八重があるのか……。確かに庭のあちこちに咲いているのはみな八重だ。
「一重の花を好む性分から、さっそく枝を折り取り、持ち帰って挿し木してみた」というせっかちさが藤井さんらしいし、桜のことを思えば一重のが好きだというのも分かる気がする。

叶館には三つの風呂がある。私は、玄関前の独立した棟にあるこの風呂に、朝な夕な、真冬でも窓を開け放って入るのが好きだ。空や星や雨や夕暮れや樹々の緑を眺めながら、独り湯に浸かる極上のひととき。


翌日、今回初めて立ち寄ったのが、少し前の「朝日新聞」で知った「くじゅう高原フラワーズヴァレー」。要するに、ベゴニア一辺倒の植物園(オムライスが人気らしいレストランを併設)。ここも間違いなく独立独歩だ。

すべての命に来し方行く末がある。もっと節くれ立ち、さらに深々と生きよう。時には美しさなどかなぐり捨てて。

[5/5最終]