■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21] |
満開となった我が家のヤマボウシ。どことなく、何かに憧れて今にも旅立って行きそうな気配だ。
「憧れというのは、魂が体から抜け出ること」という大野晋(国語学者、1919〜2008年)説は前に触れた(→大隈言道の歌に見る「憧れるこころ」)。
「あこがれ」という言葉そのものは、しかし新しい言葉である。これは鎌倉時代の末、室町時代ごろから現われた。それ以前は、「あくがれ」といっていた。「月や花にあくがれ」た平安時代の宮廷の人々は、「月や花を見にさまよい歩いた」のである。
この「あくがれ」は「あく」と「かれ」とに分けられる言葉である。「かれ」とは離れて遠く去ることで、「あく」とは、「こと」とか「ところ」とかいう意味の古い言葉である。だから、「あくがれ」とは、自分のいるところを離れて、うかれて、あちこち歩きまわることである。(大野晋『日本語の年輪』)
「大形白色の総包片が4枚あり、花弁のように見える」(ウィキペディア「ヤマボウシ」)とのことだが、その4枚の総包片をプロペラのようにグルグルと旋回させて、どこまでもさまよい往け──。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_22233142.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/21/17/d0190217_22233142.jpg)
●18日
仕事で訪れたクリニックの玄関にて(携帯撮影)。
小さな花火が無数に上がっている情景のようだ。まだ間に合うなら撮り直したい。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_1055611.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/22/17/d0190217_1055611.jpg)
●22日
日にちが前後するが、先程撮ったもの。事務所入居ビル近くに、花屋を併設(逆かも)した軽食レストランがあり、その入り口前にて。何度か見たことはあるが今のところ名前が分からない、なかなか渋い花。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_15211024.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/22/17/d0190217_15211024.jpg)
●20日
週末、事務所入居ビルから。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_22241731.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/21/17/d0190217_22241731.jpg)
●21日
このところ、とりわけ自衛隊機のことを云々したくない──何しろあのどこまでも “場違いな” 防衛大臣(そして勿論、人品愚劣極まるその任命者)に我が身と国を滅ぼされたくない──気分だが、いつまでも飛行機雲が消えないので……。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_22305519.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/21/17/d0190217_22305519.jpg)
美しいとか趣があるかどうかはさて措いて、空よ雲よ人生よと言ったとしても、我々が見ているものの多くはとっくに、設えられ仕組まれているものかも知れない。共謀罪容疑のもとで張り巡られる監視カメラか密告者どもの蜘蛛の巣情報網の如く。
![■ヤマボウシの憧れ、序でに共謀罪、そしていつもの週替わりの夕暮れ[5/15〜21]_d0190217_22273847.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201705/21/17/d0190217_22273847.jpg)
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