■少女は何を観ていたか? そして週替わりの夕暮れ[6/2〜4] |
二日前、夕暮れ前の天神。
信号待ちの間、空を見上げた。昼と夜がゆるりと交替する時刻。
●6月3日
上記とほぼ同時刻、自宅付近の公園にて。
空が私好みの色合いになっていたので、押っ取り刀で公園へ。その隅の方で、小学校高学年と思しき女の子が西空に向かい腕を伸ばしているのが視野に入った。やはり夕焼けをスマホで撮っているのかなとチラとは思ったが、後で私の背後を飼い犬とともに通った時に、彼女は私に「こんにちは」と言った。そしてさらに、私が公園から引き上げようとした時には、彼女は樹の下に坐り込んでいて、ニコッとしてもう一度「こんにちは」と言い、コクリと頭を下げさえした。
私はとっくに小学校PTAではないし、そういう年代の少女にも特別関心はないが、後でふと、あれは 、同じ夕焼けに胸を焦がす “仲間” へのエールだったのかな、と思った。
普通の大人が、「正しさ」や「美しさ」を問題にすることがなくなった──代わって、一番いかがわしい輩が「道徳」や「国粋」主義を説く──ように思うが、もし、私がこの時この場面で思ったとおりであるのなら、“仲間” たる少女の胸中での夕焼けよ、いつまでも燃え続けてくれ。
●6月4日
ウォーキング中の西ノ堤池にて。はて、これがこの花の完成形なのかどうか……。
昨日の「朝日」夕刊、若い記者たちが企画しているとの「ココハツ」紙面。「落語に学ぶ粋な飲んべえ」と題して江戸川夏樹記者が、落語の五街道雲助が語る「飲んべえ」話を伝えていた。野坂昭如や殿山泰司らも通い詰めたという浅草の居酒屋「かいば屋」(現在閉店)の大将の口癖は、「酒で意識がなくなって、大口たたいて、次の日に布団の中で『えらいことやっちゃった』と反省するぐらいじゃないと、人に優しくなれないんだ」と。
ここまで言い切る人はなかなかいないが、この話はまさに我が意を得たり(?)だ。これをまともに受けて言えば、「人に対する優しさ」では……私は人後に落ちないはずだ。だが、さて、まだ修業(もしくは酔狂)が足りないか。
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