■「記憶と記録」を考える不思議な本──崔吉城編『ワン・アジアに向けて』刊行 |
崔吉城(チェ・キルソン)編『ワン・アジアに向けて』(発行:東亜大学東アジア文化研究所/発売:花乱社/A5判・224ページ・定価2160円)。
崔吉城氏は韓国楊州市出身、下関在住の元韓国人(日本国籍取得)で、文学博士・文化人類学者。現在、東亜大学教授・広島大学名誉教授。上記研究所の所長でもある崔氏とは、知り合って間もない2012年にやはり出版の相談を受け、同氏が企画者であり小社が制作・発行を引き受けたコンスタンチン・ガポネンコ著『樺太・瑞穂村の悲劇』(井上紘一・徐満洙訳、定価2160円)以来だ。
参考ブログ記事→モスクワからの電話取材
崔吉城氏のブログ→崔吉城との対話
韓国人は概ねせっかちで熱そうだが、崔氏も突然、無体(むたい)な出版話を持ちかけてくる。今回は最初、3月15日に電話をいただいた。「ワン(一つの)アジア」をテーマにしたDVD付きの本を編集・校正中なので、販売元を引き受けてくれないか、と。「で、いつ刊行したいのですか?」、「今年度内に」、「えっ?」……こういった調子だ。
私としては──勿論、年度内の──翌週3月22日に下関の東亜大学に伺うのが精一杯だった。
日本語ネイティヴではないので当然なのだが、元々崔氏の話はなかなか分かり難い。通訳担当でもある奥さんに同席していただき30分程お話を伺って理解できたのは、2016年秋に東亜大学東アジア文化研究所が東京のワンアジア財団(HP)の支援を受けて、(なんと4カ月間で!)15回の連続公開講座「ITによるアジア共同体教育の構築」を企画開催、その報告書及び講座の抜粋映像を収めたDVDに加え、近年、崔氏が下関市民と取り組んできた「記憶と記録」をテーマとする戦争世代からの聴き取り活動の成果を一緒にした本を出そうとしている、ということだ。
ついては、折角出版するのだから一般の需要にも応えたい、花乱社で市販してくれないかとのことで私が呼ばれたという経緯。なお、本書第2部には「小山正夫上等兵が撮った日中戦争/満洲映画協会/日韓往来談」のインタビュー3本を収録しているが、中でも、小山正夫元上等兵が日中戦争時に現地撮影した写真(約130点掲載)はとても貴重なので、広く世に伝えたいとのことだった(小山氏撮影分は改めて抜粋掲示する→小山正夫上等兵が撮った日中戦争)。
出掛けて行って話を聞いてしまえば、もう「降りた」と言うわけにいかない。金銭ベースは外部支援(小社には1円も回ってこない──念のため)があり、インタビューなどを手伝うボランティアの人々が居たとしても、編集や本作りに関しては、この韓国出身の先生がほとんど一人で進めるしかない。
詰まるところ私としては、ささやかながら日韓そして(東)アジア友好のためになるのであれば……と、船に乗り込むしかなかった。崔氏はその場で、この本のタイトルまで「何か決めてよ」と言われる。ええい、これはもう『ワン・アジアに向けて』しかないだろう。
こうして船出し、その後、発売元として最低限の本文点検及び装丁などの作業を進め、約2カ月で本が完成した(奥付の発行日は3月31日)。装丁はデザイナーの長谷川義幸氏に依頼、アジア的アヴァンギャルドを見事に図像化してもらった。元々は依頼主の指示通りに進めればよかったはずの印刷所の瞬報社には、(私が無理に割り込んだわけではないが)ご面倒を掛けたことと思う。
[外側表紙を開いたところ。カバーは巻いていないので、基本的に委託販売は不可]
さて、どんな講座が開かれたのか、その一覧を掲げ、次に目次を抜粋する。なお、講座自体は今後も毎年秋に行うとのこと。さて、次々に書籍化されるのだろうか……。
●第1部 ITによるアジア共同体教育の構築 (崔氏による講座全体のレジュメ)
1)ワン・アジア 2)民族主義、ナショナリズム
3)「台湾は捨て子」 4)アジアとは
5)世界観 6)戦争と地図
7)アジア共同体の原点 8)言語の壁
9)暦と美 10)断髪
11)スパイスロード 12)オリンピック
13)アジアの人類集団:民族ビビンバ
●第2部 記憶と記録 (インタビュー集)
小山正夫上等兵が撮った日中戦争
撮影・口述:小山正夫/聞き手:崔 吉城・本山大智
アルバム/支那美人/「慰安室」/出征/鉄道部隊/汽関車/反日/戦場/戦闘/風景・人物/「娘子軍」/負傷・帰還/終戦
満洲映画協会
口述:緒方用光/聞き手:林 楽青
日韓往来談
口述:裵 末連/聞き手:倉光 誠
創氏改名/小学校/母が亡くなる/終戦/韓国へ帰国/学習/父が亡くなる/朝鮮戦争/再来日/教会/仏壇
編集後記・インタビューという方法 崔 吉城
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崔氏の「編集後記・インタビューという方法」はとても読み応えがある。一部、抜き出してみる。
個人差はあるにしても戦争と植民地に関する証言集は、ほとんど悲惨な状況や時期のものであり、悲惨な内容が中心となっている。
私は経験的に証言自体が必ずしも悲惨一色ではないと思っている。悲惨な内容とは、戦争自体はもちろん悲惨ではあるが、主に調査者によるインタビュー方式や記録方法によるものではないかと考えた。これは文化人類学のインタビュー、その方法の問題であり。文化人類学の方法論に立ち戻って考え直してみるべきだと思う。
引き揚げ、あるいは追い出され、敗戦によって帰還し、またそこで厄介者のような存在になり、といった苦難話も多い。戦争の記憶は人それぞれであるにも関わらず、引き揚げ者の加害はほぼ意識されずに敗戦による被害を強調する。否、被害しかないのかも知れない。なぜであろうか。それは、戦争や植民地経験というものは勝者・敗者ともに被害を受けるということを物語っているのであろう。(略)悲惨な戦争をノスタルジックに明るく語る人もいる。それを戦争や略奪などを反省しない破廉恥なこととして非難してはいけない。むしろ傾聴すべきである。国家も個人も悲惨で悲劇的な歴史をもっているからである。
何より重要なのは、オーラル文化から記録文化への根本的課題、それは証言、口承文芸、エスノグラフィー(民族誌)の根本問題である。(略)
記録史は無文字時代から有文字時代へと発展したものである。私が生まれ育った村は、表札だけが文字であり、ハングルさえ存在せず、無文字、オーラル社会であった。しかし村人の間では挨拶、会合、通信、喧嘩などが頻繁、活発であった。そこでも話は一回性のものもあるが、個人あるいは家族や村レベルで記憶されて行事や祭りなどが行われた。文字がないからといっても話はただの流れるものではない。約束は守られ、信頼性と信用が存在していた。
そう、約束は守られ、そこに信頼性と信用が存在しなければならない──。実にニュートラルで客観的な視点において、文化人類学者が人間と社会をどう捉えようとしているのかが、よく伝わる。「ワン・アジア」とぶち上げつつこの不思議なてんこ盛り本の価値は、この文章が収められたことで確定されたと言っていい。これを書き上げ、一書を纏めた崔先生の喜びと学者魂を想う。
→花乱社HP
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