■小山正夫上等兵が撮った日中戦争──『ワン・アジアに向けて』より |
小山氏は1937(昭和12)年8月25日に召集され、門司港〜釜山〜奉天へ、以降中国各地を転戦、1940(昭和25)年1月26日復員命令を受け、2月5日小倉にて召集除隊になっている。
以下の写真説明文は、小山氏自身がアルバムに書き留めておいたもの。
なお小山氏は、100歳にあとわずかという2014年4月12日に死去された。
インタビュー中の小山氏(左)、右は崔氏。
支那事変出征門司宿泊記念、昭和13年9月19日、立石部隊第二分隊第二班
北京 紫禁城
伍長勤務時代 当時25歳 大原にて
はるかに万里の長城をのぞむ寧武にて 昭和14年11月
黄河に鉄船を並べた軍橋
敵軍自ら爆破した津浦線黄河鉄橋 昭和12年12月
汽関車(ママ)黄河を渡る
風陵渡へ進撃途中汽関車へ給水
「建設」「大東亜新秩序」
正石太線沿衆の抗日文字
右から読み「救恤受傷官兵」、右壁「倒日本帝国主義者」
(中国娘)
南京付近での「慰安室」
激戦地河北省徐州市
徐州にて戦死者の遺骨を故国へ送る慰霊祭 昭和13年7月
山西省侯馬鎮にて
山西省 寧武城門
避難民
南京光華門 服務部隊突入路
山西省開封のラマ塔
砂漠のようになった風陵渡
[注記:実に不思議な写真だ]
→花乱社HP
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