■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23] |
「東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』刊行記念読書会@福岡」が唐人町「とらきつね」(寺子屋ブログ by 唐人町寺子屋)で開かれた。「とらきつね」代表の鳥羽和久君はおそらく20年振り、深くはないが旧知の仲だ。
「今年最高の思想・哲学系書物ではないか」と世評の高い同書については、6月のライオンとペリカンの会・読書会にてもテキストとした。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_23112045.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/26/17/d0190217_23112045.jpg)
6月読書会時点までで102ページ、それ以降も数ページしか読み進めることのできていない私には、今現在、この本について何事かを言うほどの材料も資格もない。
ただ一つ──かなり広範囲というわけではないけれど、特定の外国地域(釜山)をかなり頻繁に訪れているという点では、私は本書で言う「観光客」として自信をもって手を挙げられるだろう。そして、いわばそういう表層的な理解が、あながち的外れではないのではないか、と私はこの本のテーマを理解する。全部読み終わった時点で、改めて書きたい。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_23114482.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/26/17/d0190217_23114482.jpg)
人間は人間が好きではない。人間は社会をつくりたくない。にもかかわらず人間は現実には社会をつくる。言い換えれば、公共性などだれももちたくないのだが、にもかかわらず公共性をもつ。ぼくには、この逆説は、すべての人文学の根底にあるべき、決定的に重要な認識のように思われる。
観光客について考えること、それは、近代の標準的な人間観を更新し、新たな人間観、新たな社会観、そして新たな政治観を提示することにつながっている。
──「第2章 政治とその外部」
【参考】
→ライオンとペリカンの会・130回目の読書会:多和田葉子『エクソフォニー:母語の外へ出る旅』[2015年10月31日]
→101回目の読書会[2010年12月20日]
●23日
先日の福岡県水害のことを思えば言い難いが、この時季の夕方、すべての事象がまさに煮えているようで、いっそドドド…ッと雨を直線的に落としてくれないかと思う時がある。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_23133751.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/24/17/d0190217_23133751.jpg)
クマゼミのシャワー・コーラスの中でのこの気品。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_23123320.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/24/17/d0190217_23123320.jpg)
毎年今時分、この瑞々しい色合いをカメラに収めようとするが、ピントが合った試しがない。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_22553042.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/24/17/d0190217_22553042.jpg)
さて、もう少しで日が沈む。
![■東浩紀『観光客の哲学』読書会、それに週替わりの夕暮れ[7/23]_d0190217_22563043.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/24/17/d0190217_22563043.jpg)
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