我が家のニューサマーも開花し始めた。
何百という蕾すべてが花開くだろうが、切磋琢磨か弱肉強食か、最後に実りの秋(とき)を迎えるのは(ここ数年のことで言えば)20個程度。
夕刻、ウォーキングへ。 歩いている時は、文字通り由無し事が脳中を占める。勿論、綺麗なものにはすぐに眼が行くけど。
ふと、頭を過(よぎ)ったのが、一昨日の読書会。テキストは、劇作家・平田オリザの『わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012年)。結構、売れているらしい。コミュニケーション──今更なようだけれど、的確な訳語がないように、意味内容は多義的で難しい。「伝達・交歓」ではまだ足りない──ということをめぐって、話題の取り方が幅広いし、目配りも利いていて、現場でのワークショップなどを経た上でかなり整理されたものだろうことは分かる。演劇を利用した教育関係のワークショップ方法論では既に権威的な存在らしい。だが、それだけにどこか公式的で、お説教臭く感じる面もあった。「わかりえないこと」を梃子に、コミュニケーションを考える──。そうしたテーマでエッセイを書こうという人は、予め自分ではその方法論(結末)を分かっている。そういう文章だと感じる。全ての台詞を(勿論ストーリーも)決めてしまう劇作家なら当然のことかも知れないが……文章(そして人間)というものは、もっと謎めいていて、手探りでしか近づけないものではないだろうか。![■今更ながら「コミュ二ケーション」とは何か──週替わりの夕暮れ[4/29]_d0190217_21403767.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201804/29/17/d0190217_21403767.jpg)
テキストをめぐる議論の中で、社員研修や啓発を仕事にしているメンバーが、
「これまでたくさんの新入社員を見てきて、コミュニケーション能力の差ということで言えば、それまでの読書量が物を言うように思う。
それでも、最終的には現場での経験が大きく、いずれは読書量の差はなくなっていくようにも感じる」
といった趣旨のことを語った。
さて、読書量とコミュニケーション能力。
私は(本は作っていても)本を読んでいるか──。
今日の「雲行き」は、幾らか動きがあって少し面白い。
![■今更ながら「コミュ二ケーション」とは何か──週替わりの夕暮れ[4/29]_d0190217_21425408.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201804/29/17/d0190217_21425408.jpg)
風に靡いている様を撮りたかったんだけど……。
コオロギの声がだいぶ大きくなってきた。
![■今更ながら「コミュ二ケーション」とは何か──週替わりの夕暮れ[4/29]_d0190217_21421830.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201804/29/17/d0190217_21421830.jpg)
後で調べると、ツルニチニチソウ……かな。
![■今更ながら「コミュ二ケーション」とは何か──週替わりの夕暮れ[4/29]_d0190217_21423750.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201804/29/17/d0190217_21423750.jpg)
先週22日の続きのようでいて、やはり違う夕暮れ。