今日は、「由布院空想の森美術館」再出発の日。 建物は、以前の由布院空想の森美術館(1986─2001年)の本館よりだいぶ小振りだが、宮崎県下で解体寸前だった古民家を移築とのこと。 運営は、総合ディレクター・美術家の高見乾司(けんじ)氏、館長・写真家の高見剛(つよし)氏、竹工芸家の高見八州洋(やすひろ)氏の三兄弟による。
2階廊下から玄関吹き抜け部分を見る。
壁には、高見乾司氏所有の民俗仮面の一部が展示されている。 2階の企画展示室にて高見乾司氏。
同館パンフレット。
小社では再出発に合わせて、高見乾司氏の新著『帰る旅─空想の森へ──地域アートの試みの中で』(A5判/ソフトカバー/税込2160円)を刊行した。
昨秋、十数年振りに福岡市で再会した際、高見さんの半生と「地域と美術」を巡る活動とを重ね合わせたエッセイ集を纏めては、と申し出ていた本が完成したのだ。 帯には、高見さんの希望で、画家の菊畑茂久馬氏から推薦の言葉をいただいた。 「森からやって来て、さらなる森の奥深くへ──」 私の帰るべき地は、三つに増えた。父祖の地・日田、癒しと再生の土地・宮崎、そして、激動の日々を過ごした湯布院「空想の森」へ。当時の湯布院と、現在の湯布院の町とでは、大きく事情が違っていることは、私も承知しているが、かつて「東洋の理想郷」が実現できると信じて活動した仲間たちが、頑強に根を張り、生き続けていることも確かだ。この一点を手がかりに、私は湯布院へ「帰る」のである。
今となっては、私の旅は「帰る旅」なのか「どこかへと向かう旅」なのかさえ分からなくなってきているが、旅の道筋に九州脊梁山地の山々に抱かれた「神楽」を伝える村があることが一つの指標になる。(略)
私の着地点がどこになるか、どのようになるかは、まだ分からない。───終章より
館の前庭からは由布岳山頂が望める。
山頂下が崩落しているのかと思ったら、ミヤマキリシマの群落だと。
「これほどきれいに見渡せるのは珍しいですよ」と高見乾司さん。
帰路、高速道路パーキングエリアにて。
高見さんたちは四兄弟。 花乱社創業草々の2011年4月に刊行した高見剛さんの写真集『天地聖彩──湯布院・九重・阿蘇』に、乾司さんから序文(「山の村の記憶から」)が寄せられた。 弟への想いが滲み出ているその文章を、当時、ブログ記事で取り上げた。一読を乞う。 →兄の時間・弟の時間
高速運転中でもこうした雲を見ればカメラを出してしまう。
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