見えない「悪意」に脅かされそうな時──一体、どういう詩人に拠るべきか。
そんな情況に効く詩があるのか。
幾人(いくたり)かあたってみて、どうやら吉本隆明に行き着いた。
勿論、まあ、これでいいかな、というほどのものだけど。
偽アヴアンギヤルド 吉本隆明(1957年)
きみの冷酷は
少年のときの玩具のなかに仕掛けてある
きみは発条(バネ)をこわしてから悪んでいる少年にあたえ
世界を指図する
少年は憤怒にあおざめてきみに反抗する
きみの寂しさはそれに似ている
きみは土足で
少女たちの遊びの輪を蹴ちらしてあるき
ある日 とつぜん一人の少女が好きになる
きみが負っている悔恨はそれに似ている
きみが首長になると世界は暗くなる
きみが喋言ると少年は壁のなかにとじこもり
少女たちは厳粛になる
きみが革命というと
世界は全部玩具になる
「きみが首長になると世界は暗くなる」とは誰に向けて言っているのか──デモクラシーの根本原理すら学ばなかった(単なる嘘つきの)為政者には、分かるはずもないことだろうけど。
[孤独なダンス?]
![■「きみが革命というと 世界は全部玩具になる」──週替わりの夕暮れ[5/27]_d0190217_21535539.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201805/27/17/d0190217_21535539.jpg)
そうは言っても、私は今日午前中、一市民として、地元公民館で行われた衆議院議員(福岡2区)いなとみ(稲富)修二氏(常々思うが、投票場面のためだけで「いなとみ」と書かせるのはいただけない)の国政報告会に行ってみた。
この、悪意渦巻き「友・敵」分断指向に塗れ切った世の中、我が選挙区の代議士は何を考えているのか。 興味深かったのは、現場に居ないと分からない国会の様子として、新聞掲載写真やテレビ放送ではほとんど演壇を中心とする前部しか見せることはなく、一応議員が揃っているようだが、議事堂では当選1年目の議員から順番に前から坐っていて、実は画像に映っていない後部の方(つまり古株議員席)ではかなりの欠席が目立ち、居眠りしている者も多いのだ、と。むしろ、居眠りしていようが出席しているだけましとも言える、と稲富氏。 それで、多くの国民からすれば、すりかえや嘘、強弁などひどい答弁を繰り返している政権側だけれども、過半数以上を占める自民党議員だけを相手にしていればそれでいいのだ、何吹く風、という態度がまかり通っている、ということのようだ。 永田町界隈の行政関係者の間では、「もういい加減に政権交代してほしい…」という気分が蔓延していて、一言で言って淀んでいる、と。
稲富氏は、質問に答える時間の最後に、政治の理想や人間としての希望を語った。そうした言葉を聞いただけで、その場に出向いた甲斐があったというもの。 言葉や夢・理想、そして正義を守る戦いに、永遠に「終戦」はない。 欧米出自の天賦人権思想ですら未だ「普遍的」というわけでないのは、あの米国大統領の登場でよく分かる。
[まだ書き掛け]