■バッハのリズム──ヨハン・セバスティアン・バッハ小論 |
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2018年 09月 30日
この夏、何十年振りかにバッハの案内書を購入した。加藤浩子『バッハ──「音楽の父」の素顔と生涯』(平凡社新書、2018年6月)。 まだ読み終えていないが、この著者が、20年程前から「バッハへの旅」と題した、バッハゆかりの地を訪ねる旅──それは私にとっても終生の念願だ──の案内役をしていることにまず惹かれた。 そして、「あとがき」にこうある(抜粋)。 2011年の暮れに、現代を代表する古楽団体のひとつであるオランダ・バッハ協会が来日し、《ロ短調ミサ曲》を披露した。演奏は素晴らしいものだったが、余韻に浸りながらふと思ったのだ。「バッハがあれば、生きていける」と。あの大震災の年の、最後に。 この本は、バッハに、そして「バッハへの旅」に背中を押されて書いた本である。旅を続けてこなかったらこの本は生まれなかった。 どんな芸術も「時代」を抜きにしては語れない。そしてほんものの芸術は「時代」を超える。バッハの音楽のように。 時代を超え、国境を超えて多くの支持を得つづけるバッハの音楽。対立が煽られ、公文書が改ざん〔ちゃんと「改竄」と書いてほしい──引用者〕され(バッハの時代の公文書はちゃんと保存されているのに)、フェイクニュースが飛び交うこの時代に、バッハの音楽以上に耳を傾ける価値のある音楽は、たぶんない。 「バッハがあれば、生きていける」と。あの大震災の年の、最後に。──ちょっと語り過ぎとも思えるが、まずは「バッハ好き」が読むだろうこの “音楽関係の本” の掉尾(とうび)に、すこぶる現在形のことを、きっと止むにやまれず(ある種臆面もないからこそ)書いた勇気を買いたい。 私も、全くの「音楽」門外漢ながら、バッハとその音楽については思うことが沢山ある。40年程前から、バッハを聴かない日はほぼない。 けれど今は、語るより、ともかくバッハを聴いていたい。 もう四半世紀前に書いたバッハ・エッセイを、ここにそっと置いておこう。付け足すことは何もない。 バッハのリズム リズム、メロディ、ハーモニーを音楽の三要素という。リズムは音楽の時間 を構成するもの、ハーモニー(和声)は音楽の空間を構成するもの、メロディ(旋律)は両者の接点に生まれる、音楽の「顔」のごときものである。ごく単純化していえば、リズムは音楽の生命力を、旋律は音楽の美しさを、ハーモニーは音楽の深さを表現する。一般には旋律に関心が寄せられるが、音楽に対してもっとも根本的なものはリズムであり、これがなければ、音楽は成立し得ない。 天才の音楽は三要素のいずれもが卓越しているものであるが、あえていえば、バッハの音楽でとくに際立っているのは、リズムだろう(バッハのとるテンポが生き生きと速かったという、同時代の証言もある)。これに対し、モーツァルトでは旋律が、ワーグナーではハーモニーが傑出していると思う。バッハがとりわけリズミックに感じられる理由のひとつは、通奏低音と呼ばれるバス声部が、たえず「下から」動きを続けているためである。(礒山 雅『J・S・バッハ』) 社会人になって初めての大きな買い物はステレオ・セットだった。大音量でクラシック音楽を聴くことが長い間の夢だった。学校時代の音楽の時間は例によってむしろ苦痛でしかなかったので、改めてまっさらな気持ちで、ABC順にクラシック音楽の作曲家の世界に浸ろうと考えた。 大作曲家に限定していけば、当然最初はヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S.Bach 1685~1750年)。ところが、まず、近所のレコード屋にたまたま廉価版があったというだけの理由で『音楽の捧げもの』、次に『ブランデンブルグ協奏曲』、そして『平均律クラヴィール曲集 第一巻』と聴いていくうちに、私の独習スケジュールはそれ以降一歩も先へ進めなくなってしまった。バッハが遙かな世界からやって来て、私を捕えて放さなくなったのだ。 その時期の感じをうまく言い表すことは難しいが、どの曲も、最初からその世界にグイグイと引きずり込まれたというより、初めは至極単調・淡彩に感じられた曲が、聴くたびに複雑で多彩な響きを持ち始めて次第に耳から離れなくなり、そのことが──ガソリン・スタンドで車の灰皿に入れてくれるあの豆粒状の芳香剤がもたらすものと違って──どんどん快感になっていく、という按配だった。 この音楽は一体何だろう、どうしてこんなに “音” が身の内に響いてくるのだろう……。音楽とのそのような関わりを持つのは久しくなかったことだった。それから私の “バッハ遍歴” が始まった。レコードを買い集め、朝晩ラジオのエア・チェックをした。伝記やバッハ論を読み漁り、楽譜も読めないのに専門研究書まで買い込んだ。今では諦めたが、1000曲以上残っているといわれるバッハ作品の録音をすべて集めようとさえ考えた。 * 以後、バッハとその作品は私にとって、単に音楽の世界に留まらず、人生や生活、さらには思想のことを考える際の大きな手掛かりとなってきたようだ。バッハの世界については、あのシュヴァイツァーを始めとして既に百万言が費やされてきてもいることだし、今さら私なんぞがその魅力を手短に表現しようとするのは途方もないことだが、さしあたり次のようなエピソードが思い浮かぶ。 二番目の妻であるアンナ・マグダレーナの『バッハの思い出』という本の中に記されている話だが、ある時、バッハがあまりにも素晴らしいオルガン演奏をするので──その同時代、バッハは作曲家としてよりはむしろオルガニストとして知られていた──弟子が激賞すると、バッハ曰く、「なにも驚くにはあたらないよ! ただ、正しい譜を正しい瞬間に正しい長さだけたたけばいいだけの話じゃないか。あとはオルガンがしてくれるんだ」。 自ら話の腰を折るようなことを書けば、長い間、バッハについての第一級資料であると同時にこの上なく美しい書物とみなされてきた同書は、近年の調査で、その大半が後世の作家による創作であることが判明したらしい。 だが、もはや私にはその記録が真実のものであるかどうかは問題でなく、学校ではほとんど「音楽の父」としか習わなかった音楽史上の巨人が、その言葉に示されたような考え方・生き方でもって彼の音楽を紡ぎ出したろうこと、そして、詩的かつ数学的とも言えるその音楽世界が比類のない美しさと時代を超えた響きを持ち得たからこそ、300年も後の人間たちがその音楽に深く聴き入ってしまうこと──そういったことを確信するだけだ。 * バッハの事蹟を少し辿れば明らかなように、彼は、モーツァルトや詩人ランボーのような誰もが認める “生まれつきの大天才” ではなく、音楽職人の家系に生まれ、二度結婚をし、20人もの子供をもうけ、彼らを養うため或いは自分の技能が受け入れられなければ、より待遇の良さそうな他所の領主に就職願いを出すなど、まず生活上のことを大事にするという意味で、「生命力」に満ち溢れた、すこぶる “俗人” であった。 存世中ほどほどの名声を得、たくさんの子孫や後継者を残したが、当時としては長寿の65歳でこの世を去った後、「古臭い宮廷音楽家」として、およそ100年間、メンデルスゾーンらが再評価するまでほとんど顧みられなかったほどだ。要するに、早熟、波瀾万丈、変転、生活破綻、夭逝などといったお定まりの指標を持つ、いかにもロマンティシズムを掻き立てるというようなタイプの “天才” ではない。 だが、いわば “凡俗” の人間が転換期の時代の中で一つ事に専念し、それを生きることで「人類の遺産」とまで言われる音楽の傑作群を生み出した──そのことに凡人たる私は深い励ましと慰謝を覚える。そうしたバッハの音楽から “襲われた” 時期、それはちょうど、私が自分の「若きロマン主義時代」を葬ろうとしていた時でもあった。 自らを「特別な人間」であると思い込んでいる人間に、もはや私は近付きたくない。彼の生に巻き込まれたくない。彼ら “天才” は、己が望む場所──「理想」という名のもとの牢獄や互いの精神を傷だらけにする修羅場──に私たちを連れて行こうとする。彼らが必要としているものは、脇役であり、観客であるだろう。一方私が望むものは、ごく当たり前のことながら、自分も「自分の人生の主役でありたい」ということであり、青臭い言い方で恥しいが、互いがそうあり得るような人生であり、社会なのである。 * そのような天才と違って、バッハは、声高には人生を、思想を、自分さえも語らない。バッハはただ、 “神” に向かい、 “音” と戯れるように、自分の世界をどこまでも追い求めるだけだ。そこで語られる “神” とは、「現世救済」だとか「輪廻転生」だとかを旗印にして人々を組織し、他者を排除・抹殺してはばからないような者たちが祭り上げるそれではなく、一人一人の人間の内面に “超越” への息吹と憧れとを吹き込むことで、その人間のより「完成」された姿へと導いていく存在(イデー)のことだと、今の私は考えている。だからこそ、この「神なき世界」に生きる私にも、バッハが語りかけて已まないのだ。 バッハはその “神=超越者” とひたすら対話を続け、一生涯たゆむことなく、自己の考える音楽のイメージを描き切った。それ故に、バッハには、モーツァルトのように甘美なロマンティシズムもなく、ベートーヴェンのように崇高なドラマもないと思われがちだが、それは彼の作品を心して聴けば大違いであることが分かる。チェンバロのみ、或いはヴァイオリンのみしか登場しないような作品においてすら、バッハの作品ほど深い人間感情に満ち溢れた音楽はない。喜び、悲しみ、怒り、受容……。 そういう気持ちでバッハを聴く時、そこには、自己と他者、想像と論理、自由と形式、感性と理性、情熱と平静、独創と模倣、ロマンティシズムとセンチメンタリズム──これら一人一人の人間に内在し、ともすれば自我を分裂させかねない諸価値の葛藤について、それらを見事に引き受けて生き抜いた「精神」が立ち現れてくる。「なにも驚くにはあたらないよ!」と言いつつ、彼は人間の偉大さと喜びがどういうものであるか、「大いなる肯定」とはどのようなことなのかを、音楽独特の直截的な力をもって指し示してくれる。 ちなみに、バッハを聴き始めた後も長い間、私は教会カンタータやコラール曲に親しむことができなかった。言葉の問題も当然あったが、何よりその宗教臭と歌声が煩わしく感じられたからだった。一つの美意識に則り体系づけられた歌声ほど、心の奥底にある “超越性” への憧れを呼び覚ますものはないだろうし、その頃の私は、それを出来合いの「宗教感情」に結び付けていくものとしてしか受け取れなかったのだ。そういった感覚が覆ったのは『ミサ曲ロ短調』を聴いてからである。そこでは、人間の声(コーラス)が最良の “楽器” として使われていた。 そして、その時私は、やはり自分が──「神の」ではもちろんなく── “救い=超越” を切実に求めていることを、決して自らに対して否定できないと思った。 * さてそれでは、御託は抜きにして、究極のところお前はバッハに何を聴いているのか──それが長い間の自問だった。どれほど色々な演奏を聴き比べ、どれほど彼に触れた言説を尋ねても、自分が聴いて捕えられているバッハ音楽の核のようなものを深く納得させる「言葉」を見出すことはできなかった。それでもなお、私の中には「言葉」にしたいバッハの存在が確かにある。バッハの音楽自身が「言葉」を強く喚起するというのではなく、バッハの音楽に聴き入ってしまう自分の感覚の中には、ずっと親しんできたはずなのになお名指し難いものへの、 “発見” を促す衝迫が確かにあったのだ。 今では、私はそれを言うことができる──リズム。礒山氏の言葉を先に掲げたが、私はそのリズムというものを、どうやらずっと拡大解釈しながら、バッハを聴き続け、自分に問い続けてきたようだ。生活の中で、人との交わりの内で、ささいな行住坐臥においてすら……。 プロ野球ジャイアンツ・江川投手のピッチング、小津安二郎描くところの原節子の挙措、さらにアンドレイ・タルコフスキー監督『ノスタルジア』の長回しのカメラ・ワークにさえ、私はいつまでも見続けていたいほどのリズムを感じる。 それらに共通するものは、意志と鍛練に支えられ一つの様式と化した「時間性」だ。バッターに打たれようが、観客に飽きられようが、ひたすら自分の(「時間性」の)イメージを描き切ればそれでいいという「自己中心性」もしくは「自己充足性」だ。そして、それが私の「身体性」と呼応し、愉悦を味わわせてくれる。言うまでもなくそれは、ロック音楽を聴けばいつもリズムを味わえる、という話ではない。 そういう感覚・作用のことをここで「エロス」と言ってもいいが、私が今、単なるこじつけと思われてもなんとか辿り着きたいものは、もっと「時間性」に晒されながらなお持ちこたえ得る何ものか──或いは逓減しない「エロス」の在りようとその条件──、そういった自己の生における “力” のことなのである。 * 「バッハのリズム」と言ってみる時、例えば私は、微妙に変奏されながら無限に一つの調べが繰り返されるような『音楽の捧げもの』や、あの静謐かつ浮き立つような『平均律』の音の世界を考えている。それらは決して、絶望と歓喜の坩堝に人を投げ入れそして掬い上げるといった、ロマンの極みを味わわせてくれる音楽ではないが、ただ聴き入るしかなす術がないような音の “打ち寄せ” に身を浸すうちに、初めて恋い焦がれていたものが次第に明確な姿を現わし、いつしか私をしっかりと抱き留めてくれる……そういった音楽だ。「一度殺したロマンを生き直す」(竹田青嗣)という言葉を、そういうこととして私は受け取ってしまう。 この日常がどれほど永劫に続く宙ぶらりんの世界に思えようが、また誰かと共に抱(いだ) き合うに足るほどのロマンをもはや永久に失っていようが、「正しい譜を正しい瞬間に正しい長さだけ」たたき続けることなら、私にもできそうな気がする。そして、そこで刻まれるはずの「リズム」が、もし正確に私の「身体性」の表現であり続けるならば……いつかきっと、私だけの “通奏低音” を響かせることができるのではないだろうか。 自分の「リズム」を刻み続けること! きっと、「あとはオルガンがしてくれる」。 (「恐竜たちの団居」4号/1994年11月)
by karansha
| 2018-09-30 22:46
| 編集長日記
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