■信号無し、スクーターが走り抜ける6車線の渡り方――ホーチミン・二泊四日の旅 |
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2019年 01月 12日
蛇行しているのはサイゴン川とその支流か。 当然、ここで連想するのは『地獄の黙示録』。 今思い返しても、あの後半のおどろおどろしさ――とりわけマーロン・ブランドの怪演――は、一体何だったのか、と。 ともかく、同じアジア人ながら、私たちは未だ欧米人の目線でアジアを見ているのだろう。
迎えのバスに乗り市街に向かっていて、すぐに目に入ったタクシー車体の広告。 彼は瞑想しているのか、それとも人生を嘆いているのか、或いは何かに耽溺しているのか――。 ホーチミン市中心部の図。 まずはバイク群による洗礼。 それぞれ勝手に走っていて、群れてはいないので「群」は正確ではないが、とりあえず。 ホーチミン行で、とにもかくにも触れなければいけないのは、街中を走り回るスクーターのことだ。 ともかく、車道はバイクのもの、という様相。 スクーターのことはハノイ行の時にも書いたが、それから数年経ってベトナム全域において事態がさらに深化した、という以上に、そもそもホーチミン市におけるスクーターの爆走ぶりは、ひょっとしたら世界一なのではないか。 四輪ではベンツも見たし、アウディも見た。 中でもトヨタがだんトツだったが、自動車そのものが少数派に見えた。 大通りの傍で眺めていて、5分間程、スクーターしか走ってこないこともあった。 そのことからは社会的な貧富の差を推測しなければならないのだろうが、これが、15〜64歳の人口比率が世界194カ国中第24位(1990〜2017年)という「若い国・ベトナム」の実像か。 インフラが追いついていない所で、バイク利用が一番便利、それでこれだけ広まってしまった感じ。 そうした道路を、要所要所で歩行者は横断しなければならない。 かくするうちに、早くも一日目は暮れて。グエンフエ通りの歩行者天国。 共産主義国といっても、中国のどこよりも、そぞろ歩く人々は自由そうだった。 中央はホーチミン市人民委員会庁舎、つまり共産主義の牙城。 歩行者天国を挟んだ左手の大通りには、堵列(とれつ)するスクーターのライトが見える。 ●1月4日 少々ドラマティックな朝焼け。 ここは3階だったか、いざとなったら大統領他家族が官邸から逃げ出すために用意されていたヘリコプター。用意したのは勿論、米軍。 サイゴン陥落(1975年4月30日)で、実際に大統領は家族共々逃げ出したというガイドの説明だったが、それが(サイゴン陥落直前の4月21日に大統領職を辞任した)グエン・バン・チューだったのか、その後を引き継いだチャン・バン・チューだったのか、よく聞き取れなかった。 内戦下のサイゴン市内では、それほど大きな戦闘は行われなかったようだ。 権力者が全てを放棄して逃げ出すことで助かる命や暮らしもある。 「無料の午前中市内ツアー」ということで参加したのだが、この統一会堂見学に各階隈無く1時間以上も割いたのは、きっと国家的な補助金が出ているのだろう、如何にも共産主義のプロバガンダらしい。 ところで、この敷物中央部の紋様は、そもそもベトナム発祥のものとの説明を聞いた。 はて、ラーメン碗の底なんかでお馴染みのような……。 中華世界の中におけるベトナムということか。 一等地にある統一会堂正面の庭園。 かわって、聖母マリア教会。 観光名所でもある中央郵便局。 パリのオルセー美術館をモデルに、1891年に建てられたコロニアル建築だとか。 ガイド書の受け売りで「コロニアル…」と書いたが、そもそもこの言葉は「植民地の」という意味らしい。 昨今、植民地研究や植民地学が盛んだと聞いたことがある。 場合や立場によっては当然負の側面がある歴史概念だが、「植民地」というものですら世界遺産とか記憶遺産とかいってニュートラルに見て行こうという時流なのか。 「大日本帝国の植民地経営」といった研究も、どれくらい進んでいるのか。 通常の郵便業務も行われている。 内部の天井アーチや床のタイル装飾が面白い。 歩行者天国から眺める。 おそらくここも、軍事パレードの時などで使われるのではないか。 天安門広場然りで、独裁権力者は広い場所で人民を監視したがる。 「広い場所」とは今や、目に見える大通りや公園ばかりではない。 ネット世界も恰好の餌場。 ドンコイ・エリアの古アパートへ。 例のリノベーションが流行っているようで、雑居ビル全体に如何にも若者好みのカフェやレストラン、衣料品店がびっしりと入っているのは、日本でも台湾でもベトナムでも同じ。 SuShiの店も。 そしてこの街にも、ある、ある、ストリート・ペインティング。 世界共通感覚の不思議な愉しさ。 あれも作品、これも作品。 何の花だろうか。 ホーチミン最古のコロニアルホテル、コンチネンタル・サイゴン。 (クラシックでいいが、私はやはりシャワートイレが欲しい) 1923年当時の同ホテル(右か)。 これは、よく分からないけれど気になった建物。 左手は、食料品から土産まで2000軒を超える店舗がひしめき合うという、巨大マーケット・ベンタン市場。 勿論、私も市場の中に入ったが、遠慮して写さなかったのではなく、買い物に忙しくて。 ドンコイ通りの昼下がり。 ここ、ホーチミンでも落暉(らっき)にまみえることができた。 夕食は、結局二日間ともここに。 元アヘン工場を改造したという、同じ出自、同じ屋根を持つレストランが3軒並んでいる。 ちょっと街はずれにあるタンディン教会。1876年建立。 SNS映え度はかなりのものだとか。 仮に、ミーハーを冷やかしに行ったとしたら、こちとらも間違いなくミーハーか。 門内には入れなかった。 市街地に戻り、人込みとスクーターに疲れて、サイゴン河畔に出る。 水のある場所が落ち着く。 この後、合計6車線の信号もない大通りを横断するはめに。 轢くなら轢いてみろ、という覚悟で車道に踏み入る。 注意を引くためハンディカメラを軽く振り回しながら、ともかく前に進む。 文字通りスクーター群を縫い、6車線を渡り終えた所で、後ろから私たちに勝手に付いてきていた中年欧米人カップルが歓声を上げた。 私も思わず「ブラボー!」と。 いやー、こんなことでこれほど嬉しいなんて……。 かつては自転車で溢れ帰っていたベトナムを、今、ホンダのスクーターが席巻している。 乗り手には老若男女がいるが、やはり若者が圧倒的で、カップル走行もかなり多い。 最初、こいつらは本当に用事があって昼夜分たずブンブン走っているのか、と思ったが、「半日国家支援のサービス」をしてもらったガイドが「若い人たちは、便利なので、仕事や恋愛にスクーターで走り回っているのです」と言った。 6車線を突っ切って渡ろうとする時、人間を轢こうと思って走っているスクーター乗りはいない――そう思って見遣ると、真面目でシャイな若者たち一人一人の顔が浮かんできた。 そう、同じ人間。 逃げないでむしろ突き進む――信号無しのホーチミンの大通りも、そして人の世も、向かい方は同じだ。 肝心なのは、最初の踏み出し(勇気をもって!)、そして歩き始めたら、決して立ち竦まないこと(それが危ない!)。 そろそろホーチミン、ドンコイ通りともお別れの時刻。 機中の未明。 旅の始まりもそうだったが、朝も悪くない。 [1/19最終] 【参考記事】 *私の東南アジア行 2008年11月 マカオ(ブログ記事無し)
by karansha
| 2019-01-12 23:36
| 編集長日記
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