■「寝床のなかで 私とあなたは 互いに手を伸ばす」──加藤典洋詩「寝床の中で」 |
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2019年 11月 27日
今日は私の誕生日。まだ、その夜。
思いがけず日暮れて雨になったので、バイク(→そしてヤマハBOLT950──最新装備の無骨者)を置いて帰宅するバスの車中、漸く加藤典洋さんの詩集『僕の一〇〇〇と一つの夜』のページをめくる。 周りの乗客はみな、スマホと対面している。 2週間程前、突然、奥様の厚子さんより電話をいただき会社の新住所を尋ねられ、そのお言葉通り、非売品・限定300部の遺稿詩集の一冊をお贈りいただいた。 B6判(変型か)横綴じ、172ページ、手帳製本(芯ボールが柔らかい上製本)、カバー・帯無し。 数日の間、本を開きはしても詩は読めなかった。 この世から加藤さんが居なくなったことが、未だどこかリアルでなくて、自分がご本人の最後の「言葉」を受け止めきれるように思えなかったからだ。 加藤さん自筆の「あとがき」に、 2018.11.24―2019.5.16 詩のようなものを書いてみた。 プラス はじめての歌一篇。 とある。 2019.5.16というのは加藤さん逝去の日で、「遺志をうけて、著者没後に夫人によって記された」と「あとがき」編註にある。 即ち、今からほぼ1年前に書き始められ、3カ月の間に認められたこの詩集原稿は、紛れもなく加藤さんのお別れの言葉だ。 42篇それぞれ詩の末尾に年月日が記されている。 勝手ながら残念なのは、11月26日作の詩が2篇、28日作が1篇あるが、1年前の27日のは無し。 ここではもう二日飛んで、29日作の詩を掲げさせてもらおう(まだ全部を読めていない)。 寝床の中で 寝床のなかで 私とあなたは 互いに相手の石膏像を撫で合う それぞれの石膏像が 暗がりのなかで なだらかになり やがて ひとつながりの丘になる ほうら 月が出ている あれは 昼の飛行機雲が まだ消えないのか ひとつながりの丘のあいだを 川が流れる その川を 月明かりのした 一艘のカヌーがくだっていく 寝床のなかで 私とあなたは 互いに手を伸ばす それぞれの顔をなでると カヌーは 川底の石をこすり 顔は丘に変わる (2018/11/29) すぐに気付くように、タイトル「寝床の中で」と1行目の「寝床のなかで」には、表記の異同がある。 〈凡例〉によると、どうやらこうした箇所は、誤植ではなく、あえて「著者の最終稿」に従ったもののようだ。 ここに転載させてもらおう。段落頭の1字下げを勝手にさせてもらった。 追悼 加藤典洋 不在を受け止めかね、うろたえる 橋爪大三郎 五月一六日、文芸批評家の加藤典洋さんが亡くなった。残念で残念でたまらない。 加藤さんは、去年およそ一年をかけて『9条入門』を書き上げた。十一月下旬に体調を崩し、急性骨髄性白血病であることが判明。入院して闘病生活に入った。感染症がいちばんいけないので面会できなかった。葉書を出したりメイルを書いたりした。加藤さんとここ数年開いていた研究会で、『9条入門』の原稿を取り上げた。加藤さんの出席は適わなかった。病状は一時好転し、三月には自宅に戻って療養するまでになった。四月には再入院、一進一退を繰り返した。私は、祈ることしかできなかった。 私の見聞きした狭い範囲で、加藤典洋さんの思い出をしるしてみる。 加藤さんも私も一九四八年生まれである。私は一○月だが加藤さんは四月一日生まれで一学年上だ。一九六七年に東大駒場に入学すると、『学園』という学内誌が新入生に配られた。銀杏並木賞の入選作「手帖」という小説が目にとまる。「加藤典洋」という名前を目にした最初である。 加藤さんは、入院しているあいだに、『オレの東大物語』という原稿を書いた。本まる一冊分ある。そこにも、銀杏並木賞のことが出てくる。それによれば小説の冒頭は、《水の中で水が沈む。波がためらいながら遠のいていく。弱々しい水の皮膚を透かすと、ひとつの表情が、その輪郭を水に滲ませてぼんやり微笑んでいる。》だった。相当に早熟で、かつ生意気な文体と言うべきだろう。ところが雑誌では、「水の中で氷が沈む」と誤植されてしまい、加藤さんはそれが不満だった。そんなことを知らない私を含めた多くの新入生は、優れた小説家の卵がキャンパスにいるぞ、と噂しあった。 加藤さんは、文学集団というサークルに入っていた。私の友人が、その集団に面接で落とされ入れなかったとぼやいていた。面接したのは加藤さんのほかに、鈴木貞美と芝山幹郎。芝山幹郎さんが頭脳聡明なのは、つきあいがあったのでよく知っている。『オレの東大物語』によると文学集団は、歴史と伝統あるグループで、三人だけでなくもっと大勢いたらしい。 卒業後、加藤さんが国会図書館に就職したらしいと、誰かから聞いた。つぎに会ったのはおよそ二○年後。加藤さんが『アメリカの影』を書き、私も遅れて本を出したころ、詩人の瀬尾育生さんが吉本隆明氏を囲むシンポジウムを企画し、呼んでくれたのだ。パネリストは吉本さんに、加藤典洋さん、竹田青嗣さんと私。私は吉本さんに向かって「権力は悪とは限らないと思います」などと発言し、にらまれてしまった。シンポが終わってから加藤さんは、権力が悪でないという話はそうかもなあ。あと、キミの文章は表面がコーティングしてあって、水を弾くんだよ、と謎のようなことを言った。 それからときどき、仕事で顔を合わせた。大阪の古書店が企画した「高野山ライブ」という、村上春樹をめぐるシンポジウムでは、山房に泊まりこんだ。加藤さんや竹田さんや私や、がパネリストだった。徹夜になった。そのテープ起こし原稿があるはずだが、書物にはなっていない。天皇の戦争責任をテーマに、加藤さんと長い対談もした。これは径書房から本になっている。私は席上、白い紙を折ったり開いたりしながら発言し、あとで加藤さんが紙になにも書いてないのをみて、なんだあいつは、といぶかったと聞いた。 『思想の科学』の吉本さんを交えた座談会にも、呼んでもらった。加藤さんと竹田さんが主宰していた「間共同体研究会」という会合にも、参加させてもらった。楽しかったし勉強になった。NYタイムズに何か書かないか、と勧めてくれたのも加藤さんだ。あるとき、研究会のあとの食事会で、加藤さんが竹田さんと私に向かって、この三人のうち誰かがそのうち死ぬと思う、とぽつりと口にした。誰かとは加藤さん自身のことではないのか。気になって覚えている。 事情でこの研究会がやめになり、加藤さんと会うチャンスがなくなった。そんな折、天野祐吉さんと島森路子さんのお別れの会に出たら、ぽつんと坐っている加藤さんを見つけた。話し込んだ。また研究会をやれるといいね。そこで洗足会というのが始まった。二○一六年一○月一七日が第一回で、以後、数カ月に一回のペース。参加は、加藤さん、瀬尾育生さん、野口良平さん、伊東祐吏さん、それに私。研究会のあと、近くの中華料理屋で食事をしながら歓談し、楽しかった。 加藤さんは入院中、詩をいくつも書いた。『現代詩手帖』に集中連載された。透き通ったいい詩だ。訃報を聞いたあと会合で、荒川洋治さんに、加藤さんの詩はいいですね、と話しかけると、いい詩ですね、とうなずかれた。加藤さんは、ボストン在住の親友夫妻と会うといいよ、と私に紹介もしてくれた。村上春樹の翻訳家だ。嬉しい気配りが最後になってしまった。 加藤さんの不在を受け止めかねて、私はうろたえている。ひとは不在の域が拡がっていき、とうとう自分も不在となるのかもしれない。加藤典洋さんという畏敬すべき存在と、たとえ限られた機会であれ、接点をもてた好運を感謝したい。 (はしづめ・だいさぶろう=社会学者) 本当に、あの橋爪さんですらうろたえることがあるのだ。 [書き掛け]
by karansha
| 2019-11-27 23:05
| 編集長日記
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