■「生きることを全うし、他者の生も慈しむ、そういうことこそ実用の学習なのだ」(投書より)、「二人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」、そして週替わりの夕暮れ[3/18・21] |
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2020年 03月 22日
●3月18日 事務所窓から。 2週間来ない間にコオロギが鳴き始めていた。 何を語らっているのか。 以下は、最近の新聞スクラップより(すべて「朝日新聞」)。 2022年度から実施される高校国語の学習指導要領で、「文学」が選択科目になるとのこと。 対するのは、実用的とされる「論理国語」という先行きについて、「教科書に小説は必要ですか?」という問い(2月8日付 “between 読者とつくる” )で、京都在住77歳の女性。 小説は生きるということを否応なく考えさせる。 これこそ実用そのものだろう。 生きることを全うし、他者の生も慈しむ、そういうことこそ実用の学習なのだ。 契約書は必要なら覚えれば済む。 ただしその中に潜む危険性を知る力は多くの読書の中で育てられるものだ。 これほど明快に「文学」の意味と力を伝える言葉はないだろう。 権力者=体制はいつも、「民草」が国家や社会と向かい合って客観視する言葉や考え方を獲得することを嫌う。 「文学」こそがそれらの母体であることを彼らはよく知っているのだ。 * 新型コロナウイルス拡大防止のため封鎖が続いている中国・湖北省武漢市で、孤立した街に留まり、身の回りで起きていることや中国社会への思いを綴った日記を、作家(女性、64歳)方方氏がブログで公開している(3月19日付夕刊)。 一つの国が文明国家であるかどうかの尺度は、高層ビルや車の多さや、強大な武器や軍隊や、科学技術の発達や卓越した芸術や、派手な会議や絢爛な花火や、世界各地で豪遊する旅行客の数ではない。 唯一の尺度は、弱者にどう接するか、その態度だ。 言葉にはまだ「力」が残されている──。 それを教えてくれるのも、これまた良くも悪くもこのグローバルな世界だからこそ。 * コラム「経済気象台」(3月17日付朝刊)で「海星」氏の「災い転じて福となすか」より抜粋。 国境管理をめぐって互いが一方的に条件変更しあう事態は、感染拡大阻止のための国際協力という文脈を逸脱しかねない。 危機管理に集中すべき時、余計な摩擦を生んでいる暇はない。 冷え切った間柄の相手なら、なおさら、この緊急事態を関係改善の糸口にする発想がお互いにほしい。 そのような機転もきかない政権に、この未曾有の危機を任せなければならないとは、両国の現実は悲しすぎる。 グローバル化して他国への依存度が高い現在、外交上の軋轢は、経済も防疫も共倒れのリスクをもたらしかねない。 新型ウイルス危機の不幸は日韓両国が外交オンチな政権の下で起きたことだ。 今回、せめてもの幸いは、災い転じて福となす上でネックの本丸が見えたことか。 三度もの “被爆” に見舞われた国の首相として原発を売り歩いたり、夜郎自大振りと強権性において先達たる米国大統領にただしっぽを振りに行くだけのことを、「外交」とは言わない。 * 「森友(学校法人森友学園をめぐる財務省の公文書改竄)問題」で、自殺した近畿財務局職員・赤城俊夫氏の妻がコメントを出し、再調査を拒む安倍と麻生を名指しし、 「二人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」と批判した。(3月24日朝刊) まさに(!)そうで、「王様は裸」──彼らを「王様」になぞらえること自体、噴飯ものだが──という言葉があるように、これまで誰も言わなかったことをひとことで示す、その想いの強さを思う。
by karansha
| 2020-03-22 18:12
| 編集長日記
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