■浦辺登氏の『憂しと見し世ぞ』(岡田哲也著)感想文 |

巷では「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」という映画が評判だ。三島は自決前、東大全共闘の呼びかけで討論に応じた。その実録フィルムを基に、証言者の声を織り交ぜての映画化だった。本書の著者である岡田哲也氏も、映画を観たとして西日本新聞に寄稿されていた。岡田氏にとって、村上一郎との思い出を辿るためだったのかもしれない。
本書の帯には「1969年、村上一郎と出会う」とある。その村上一郎の名前に惹かれたのだが、いまや、村上一郎といっても、記憶にない人の方が多い。かくいう筆者も、明治維新150周年記念で読売新聞に連載を持っている際、中公文庫として再刊された村上一郎の『幕末 非命の維新者』を読んでだった。この文庫の「あとがき」は渡辺京二氏だったが、これも、興味深かった。
村上一郎の『幕末』には、大塩平八郎、橋本左内、藤田三代(幽谷、東湖、小四郎)、真木和泉守、「三人の詩人」として佐久良東雄、伴林光平、雲井竜雄が紹介されていた。この中で、村上は真木和泉守を批判的に記述している。このことで世間から批判を受けたことも「あとがき」で述べている。真木一人をおとしめて言うのではないというが、この時すでに、村上は、ぼんやりと自裁の道を見ていたのかもしれない。
問題は、再刊文庫本の渡辺京二氏の「草莽の哀れ」という解説にあった。原稿を受け取りにいった渡辺氏に「僕は九州の人間は信用しません」と村上が謝絶の言葉を吐いた件だ。この一件で、「水戸っぽ」村上は九州人が嫌い。真木は九州久留米の人だから否定するのだと思い込んでいた。
ところが、三島の自決に触発された村上が、暇乞いに訪ねたのが小島直記の自宅だった。小島直記とは、海軍経理学校からの「戦友」である。その小島は現在の福岡県八女市の出身である。村上が渡辺氏に言い放った言葉とは真逆にある。
さらに、本書の著者である岡田哲也氏は鹿児島県の出身である。考えを巡らす。村上は九州人が嫌いなわけではなく、個人的に渡辺京二氏が嫌いなのだ。なぜ、嫌いなのかは、わからない。世間一般では、渡辺氏を評価する声は高い。反面、渡辺氏を批判する人も周囲にはいる。
本来、この村上一郎という人物の名前に惹かれてページをめくっていったが、なかなかどうして、岡田氏の文体に同類相哀れむといった感で嘆き、時に声を発し、古き田舎の臭いに引き込まれた。とりわけ好きなのが、125ページの「贈り物──五百円札についた鱗」である。
しかし、やはり、「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」という映画を鑑賞された方には、8ページの「力こぶ」は必読だろう。
(浦辺登)
令和二年三月二十六日
参考→『憂しと見し世ぞ』出版祝賀会、あるいはお茶目な大人たち