■「アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない」──藤原辰史氏の言葉 |

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2020年 04月 28日
このところ、新型コロナウイルス関係の記事はやはり無視しにくい。 色々な立場からの発言や考え方に触発され、学ぶことが多い。 とりわけ、藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所准教授)の4月26日付「朝日新聞」への寄稿「人文知を軽んじた失政/歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉」には腹の底に響く声でどやされた想いがした。 「朝日」読者だけのものしておくのは惜しいので、以下抜粋を。 長期戦は、多くの政治家や経済人が今なお勘違いしているように、感染拡大がおさまった時点で終わりではない。パンデミックでいっそう生命の危機にさらされている社会的弱者は、災厄の終息後も生活の闘いが続く。誰かが宣言すれば何かが終わる、というイベント中心的歴史教育は、二つの大戦後の飢餓にせよ、ベトナム戦争後の枯葉剤の後遺症にせよ、戦後こそが庶民の戦場であったという事実をすっかり忘れさせた。第1次世界大戦は、戦後の飢餓と暴力、そし疫病による死者の方が戦争中よりも多かったのだ。(略) これまで私たちは政治家や経済人から「人文学の貢献は何か見えにくい」と何度も叱られ、予算も削られ、何度も書類を直させられ、エビデンスを提出させられ、そのために貴重な研究時間を削ってきた。企業のような緊張感や統率力が足りないと説教も受けた。 だが、いま、以上の全ての資質に欠け事態を混乱させているのは、あなたたちだ。長い時間でものを考えないから重要なエビデンスを見落とし、現場を知らないから緊張感に欠け、言葉が軽いから人を統率できない。アドリブの利かない痩せ細った知性と感性では、濁流に立てない。コロナ後に弱者が生きやすい「文明」を構想することが困難だ。 危機の時代に誰が誰を犠牲にするか知ったいま、私たちはもう、コロナ以前の旧制度(アンシャン・レジーム)には戻れない。 ![]() 国境が閉鎖され、外出が規制され、物を買うこともコンサートや集会を開くこともできない。街中では警官がパトロールをしている。まるで戦争中の光景だと落ち込む人もいるが、今実施されている規制の底を貫いているのは「全人類の健康を願う」という、ナチスとの時代とは全く逆の精神である。 テレビを通して視聴者に語りかけるメルケル首相には、国民を駆り立てるカリスマ性のようなものはほとんど感じられない。世界の政治家にナルシストが増え続ける中、貴重な存在だと思う。新たに生じた重い課題を背負い、深い疲れを感じさせる顔で、残力をふりしぼり、理性の最大公約数を静かに語りかけていた。 「全人類の健康を願う」──センチメンタルな保守/民族主義者からは決して聞くことのない言葉だ。 昨年9月、『週刊ポスト』に掲載された特集「韓国なんて要らない」に対し、「差別扇動だ」として批判し、すぐさま同誌での連載を降りた作家・深沢潮(うしお)氏へのインタビューから(記者:宮田裕介)。 深沢さんは在日韓国人として生まれた。ヘイト本が並ぶ現状について、「絶望を感じます。書店は『右』『左』といった思想のスタンスととらえているかもしれませんが、私にとっては、『危ない凶器』を売っているようなものです」。出版界や書店がどうなってほしいかという質問に対しては「弱い立場の人が、無意識の差別を受け、娯楽的に消費される状況はなくなってほしい」と訴えた。 弱い立場の人が娯楽的に消費される状況はなくなってほしい──誰が、こうした𠮟責に応答できるのだろうか。 * こうなったら、もう一つ。 4月22日「朝日」の「コロナ禍に思う 2作家が寄稿」より、吉村萬壱氏の言葉。 ウイルスは目に見えない。誰が感染しているかも全く分らない。すると次第に周りの人間の全てが化け物に見えてくる。それと同時に、自分もまた感染者かも知れないという疑念が湧き起こる。その恐怖に加えて、果たしてこの先、生活していけるのかという生存の恐怖がある。(略) 今や我々は、戦争や公害病や自然災害などと同様、歴史的な災厄に見舞われた当事者としての日々を生きている。未知の歴史的な出来事に対して当事者が怖がるのは、当たり前のことだ。 しかしこの恐怖は、我々にとって本当に未知のものなのだろうか。ずっとこの恐怖を味わってきた人々が、我々の社会の底辺にいなかっただろうか、と考えてみることには意味がある気がする。不安定な生活に震えるほど恐怖し、他者を化け物のように感じながら生きてきた人々はずっと存在してきたに違いない。そしてこの災厄で、新たに大量の人々が同じ目に遭ったということではなかろうか。
by karansha
| 2020-04-28 22:25
| 編集長日記
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