■アフター・コロナや「新しい生活」は、まずは旧体制・利権政治の一掃から──最近の記事より[外山恒一/さだまさし/中島岳志/福島申二] |
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2020年 05月 23日
「昔なら市民への監視は公権力から始まった。しかし、最近は人々が望んで監視し合っています」 感染者多発地域は白眼視され、人々は戦中の隣組のような視線を注ぎ合う。休業を求める匿名の張り紙などで「自粛警察」と呼ばれる自警団化した市民を逆に忖度してか、自治体も要請に従わない店名の公表に乗り出した。(略) 外山さんは現状を、ネットで不安をあおる市民とその影響を受けたメディアとが相乗効果でマス・ヒステリーを起こしていると分析。「闘争」とする飲み会開催や飲み歩きを公言する。 福島第一原発事故後の都知事選では、原発推進派の候補をあえて褒め殺す街宣活動を展開。だが、ここ2、3年は活動家を諦めかけていたという。今年50歳となる自らの年齢や、めぼしい若手が育たない無力感のせいだった。「引退するつもりだったのに…、こんなことになるとは…」と驚きつつ、こう言葉をつなぐ。「ただ、自粛を求められ、お店の人は困っています」 ──「コロナ禍を生きる/オウム事件彷彿 同調圧力に抗う」自称革命家・外山恒一さん(「西日本新聞」5月14日) 実にまともなことを言っている。外山君、どことなく思想家の風貌になってきた。 「元々歌うのがすごく好きで歌手になったタイプじゃない」とした上で「本当は上手な誰かが歌ってくれるのがいい。でも予想外にヒット曲が出たから、責任を取ってコンサートで歌っているのです」と語る。 熊本地震や西日本豪雨など、災害の度にすぐに被災地に足を運び、「さだまさし」を歌った。「なんで歌ってるかって言うと、今はね、『皆のさだまさし』の使いどきだから」と語る。新型コロナ禍では4月にネット配信でライブをおこない、応援歌「緊急事態宣言の夜に」を披露した。「行政の『要請』が『強制』にならないよう感染を食い止めることは、今の自由な日本を守るための戦いだと思っています」と話す。 「存在理由が分らなくて、答えは45歳のときに60歳に投げた。60歳過ぎても答えが見つからなかったから、今度は80歳に投げたんです。見つかるんですかね? 先延ばしにしてぐずぐずと死んでいくんですかね?」 ──「さだまさし 存在理由を探す旅」さだまさし(「朝日新聞」5月21日) この人、少し見直した。 「行政の『要請』が『強制』にならないよう感染を食い止めることは、今の自由な日本を守るための戦いだと思っています」 という言い方には感心したけれど、やっぱりどこか──「精霊流し」や「無縁坂」の作者らしく──あざとく聞こえてしまうのはどうしてか。 僕は安倍首相の「声」を長年聞いていないと思っています。つまり、官僚が書いた原稿をそのまま読むわけです。それが国民にも見えてしまっている。 逆に、今回目立ったリーダーに共通するのは「弱さ」。ドイツのメルケル首相と米ニューヨーク州のクオモ知事です。メルケル氏がなぜあんなに共感を得たかというと、「私も心配。私も弱い」という視点から連帯を訴えたからです。(略)自分たちの痛みと同じところに立っていると思える、弱さが見えるリーダーが共感されているのです。弱さを隠さない人間こそ、強さを持っている。(略) いま、国家総動員法が成立した1938年の状況がよくわかります。当時、一番「やれー」と言ったのが野党の社会大衆党でした。(略)「まどろっこしい」という政府批判が、強権的な権力の発動を誘因していったのです。 これだけの感染拡大を経験し、私たちは今後どう対応していくべきなのか、世界観や文明観の大きな変化がいると思う。 ──「危機的状況下のリーダーとは/弱さ隠さず首相の『生の声』を」中島岳志(東京工業大学教授/「朝日新聞」5月20日) 「弱さ」に着目したところは新鮮。 民主政治は血統や腕力ではなく言葉で行われる。リーダーを任ずる者なら、自分の言葉を磨き上げる意欲を持ってしかるべきだろう。 ところが首相には、言葉で合意をつくったり、人を動かそうとしたりする印象がない。数で押し、身内で仕切れば言葉はもはや大事ではなくなるのか。国会では早口の棒読みか不規則発言。スピーチなどは「国民の皆様」と慇懃(いんぎん)だが、中身は常套句(じょうとうく)の連結が目立ち、「言霊」を思わせる重み、深みは感じられない。 作家の故・丸谷才一さんが14年前、安倍氏が最初に首相に就いたときに、新著「美しい国へ」の読後感を本紙で述べていた。「一体に言いはぐらかしの多い人で、そうしているうちに話が別のことに移る。これは言質を取られまいとする慎重さよりも、言うべきことが乏しいせいではないかと心配になった」 辛口の批評だが、老練な作家の洞察力は、後に多くの人が気づく「首相の言葉の本質」をぴたりと言い当てている。 ──「日曜に想う/「言葉」に逆襲される首相」福島申二(編集委員/「朝日新聞」5月24日) 「新しい生き方/新しいライフスタイル」などとアフター・コロナ世界が語られ始めたが、何よりもまず、恋々と──こういう時に遣う──利権や既得権や旧体制にしがみつこうとしている者たちに退場してもらわねばならないのでは?
by karansha
| 2020-05-23 22:46
| 編集長日記
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