■菊畑茂久馬氏との本づくり、その断片 |





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2020年 06月 02日
5月21日、画家の菊畑茂久馬氏が逝かれた。85歳。
私にも、色々な想いが去来するが……この10年つまり花乱社創業以後は、高見乾司氏の本(『帰る旅─空想の森へ:地域アートの試みの中で』)に帯文をいただくためご自宅にお訪ねした都合二度しかお会いしていない。 それは2年前の春のこと。 上京してきたばかりで疲れた、とおっしゃっていてまさにそのご様子だったが、変わらず眼光は鋭かった。 ここでは、菊畑さんと集中的にお会いした時期(1982〜94年)、私が編集を担当した本のジャケットを掲げておきたい。 いずれも装丁は、菊畑さんの作品を素材に私が行った。 ●『戦後美術の原質』葦書房、1982年6月 もう38年前。ピカピカに輝いていたジャケットが、流石にだいぶ薄汚れてしまった。 改めてよく見れば、表に使ったオブジェ「鳥」も「詩人からもらった帽子」も、アクリルケースが相当歪だ。 第Ⅱ部の「南国狂歌」シリーズが無類に面白い。 戯作を装いつつ、菊畑さんならではの毒もたっぷり、硬質な短編物語集である。 例えば、「二 恥多き里」はこう始まる。 柳田國男が阿蘇山麓の椎葉村に伝わる猪狩りのことを記した『後狩詞記(のちのかりことばのき)』の中に、「大番役に京へ上るたびに、むくつけき田舎侍と笑われても、華奢風流の香も嗅かずに、年の代るを待ちかねて急いで故郷に帰るのは、まったく狩という強い楽しみがあって、いわゆる山里に住む甲斐があったからである。殺生の快楽は酒色の比ではなかった。罪も報(むくい)も何でもない」とある。 里は昔から殺生の楽園でもあった。それは自然とのねんごろな情愛の深さをあらわしてもいるのである。殺生の快楽とは、己がいのちの罪業を、得もいわれぬ痙攣の中で凝視することでもある。 わたしは漁師の子として生まれたけれども、それは名ばかりで、親父と入れ代わりにこの世に出て来てみれば、親父が残した山なす借金の重さで、文字通り船もろともに一家沈没。あとは人に預けられて転々と南の島をさまよっていたというわけである。生きものも随分と殺した。ガンジーは若い頃聖なるガンジス河の河原で牛を殺して食っていたなどという話を聞くと、今でも何故か真底からガンジーは偉いと思ってしまうのである。そのうち必ず罰が当る。 ところで都会の人は動物をやたらと可愛がる。あんなことは山里では決してない。先日、松山俊太郎さんとぱったり出会って無駄口を叩き合っていたら犬の話になった。彼が言うには、先日レストランに行ったら向かいの席に夫婦が犬を真ん中にして、きちんと並んで腰掛けていた。やおら料理が出てくると、かの夫婦、料理をもぐもぐ噛み砕いて交互に口移しで犬さまにやっていたそうである。東京も変な街になったものである。 こういった調子である。 ●『反芸術綺談』海鳥社、1986年7月 海鳥社創業が85年12月、年が明けてすぐに準備をしたのだろう。 私が装丁プランを出し、「天動説」シリーズ中の一点を使った。 私にとっては今でもこの絵が一番だ。 これは裏。 ![]() ●『菊畑茂久馬著作集1:絵描きと戦争』海鳥社、1993年9月 以下のジャケット絵はすべて、著作集用に描かれたもの。 ![]() ●『菊畑茂久馬著作集2:戦後美術と反芸術』海鳥社、1993年11月 確かこの著作集、当初は2カ月に1冊出す予定ではなかったか。 この2巻目までは予定通り。 ![]() ●『菊畑茂久馬著作集3:絵画の幻郷』海鳥社、1994年3月 「命を可愛がれば芸術は萎える/芸術に狂えば命をとられる」──凄いキャッチコピーだ。 収録本文にあった言葉かどうか。 ![]() ●『菊畑茂久馬著作集4:素描のままに』海鳥社、1994年8月 ![]() 【参考】
by karansha
| 2020-06-02 19:29
| 編集長日記
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