10月18日、紅葉真っ盛りのくじゅう大船山(1786.4メートル)を目指した。紅葉ポイントは、山頂下にある御池(みいけ)の周り、それに山頂から眺める段原(だんばる)。大船山は2015年から5年振りだ。→くじゅう・大船山、御池の秋 2015[10.12]
▼先に御池を見せておこう。今日の同行者は娘。近年、アウトドアに少し凝っていて、特にキャンプが好きなようだ。以下、取り急ぎで写真中心に。
▼高速道路上から朝日を見遣る(娘が撮影)。前夜に大急ぎでネットを調べて、大船山の登山口は何カ所もあるが、今回は比較的楽そうな──これは大きな誤算だったが──くじゅう山塊を南側に回り込んだ「池窪」方面から登ることにした。
少し早めに下山してきて、いつもとは逆回りで白水鉱泉に寄って天然炭酸水を汲んで帰ってもいいかな、などと愚かにも考えてい。
上り道の途中、まだ行けそうだったが車道が土砂崩れ気味となり、20台位が並んでいる路側に私も車を駐める。
歩き始めたのが9時前。スタートは上々だった。
そこから、狭くてほぼ一直線の急坂の舗装路を小1時間歩いて、ようやく本来の登山口らしき場所へ出る。
車の行き止まりには、四駆の軽自動車が1台駐車していた。
道がいい状態の時期はここまで割合簡単に登って来れたものか。
▼目指す大船山はあれか?……(坊がツルからは何度も登ったが、南側からは初めて)。
軽快にススキの丘を進む。
1時間程で、豊後・岡藩三代藩主・中川清久(隠居後、入山公)の墓所(国指定史跡)に着く。
水利・灌漑事業を行ったり藩制度の整備を進め名君として知られたらしい清久(1645〜81)は、大船山が大好きだったようで──その気持ちはよく分かる。私もくじゅう山塊の中ではこの山だ──大船山がよく見える場所に墓所まで作ってしまった。
小さいが存在感のある祠(ほこら)。
ただし清久は足が不自由だったので、屈強な領民が背負う「人鞍」に乗って登山したという。
▼手水鉢か。
この艶やかさ──水に映る紅葉はさらに美しい。
登山途中、ほんのちょっとだけ息抜きの遠望。
この頃、私はかなりバテていた。
まだ山頂ではない……?
▼大船山山頂。
私が着いたのは1時頃か。しっかり4時間以上かかった計算だ。
先に到着していた娘曰く、「さっきはもっと人が多くて、人間猿山状態だった」と(口の悪さは親父似か)。
自分もその一人なので、他人のミーハーさをあげつらうことはできない。
誰だって美しいものが観たい。ましてやこの時季だ。
▼山頂から眺める御池。
誰彼、みな感激の様子。
「こんな御池は初めて見た」という声も。
陽射しの当たり具合で紅葉の輝きが異なる。
北大船への稜線の染まり具合。
米窪が見渡される。 左手は三俣山。
その右手下の白っぽい平地周辺が坊がツル。
九州の登山者なら誰でもが憧れる、くじゅう山塊への登山基地だ。
断崖の紅葉。
落葉し、なお艶めきを増して。
シルエットも好きだ。
下山途中、樹肌を剥かれて赤裸を曝している風情の樹の群落。
岩上からも生え出て。
私が画像を転倒させたのではなく、誰かが踏み倒したようだ。
さて、墓所域の外れに十字形のはっきりとした分岐標識があり、そこを上りで辿った道に入り進んだのまではよかった(はずだった)が、昔は車も通ったらしき荒れた林道に出た時点で、どうやら私たちは道を間違えて来てしまったことを知った……。 [以降書き掛け]