●12月17日
夕方5時半、ふとPCから窓の外に眼を移すと、誰かから呼び掛けられているような気分に。
尖った三日月が好きだ。欠けているからこその存在感。![■「孤独になるには」加藤典洋詩、そして雲と月の居る夕空──週替わりの夕暮れ[12/17・19・20]_d0190217_21450841.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202012/20/17/d0190217_21450841.jpg)
●12月19日
バス通勤の車中からも雲が気になる。
福岡城址の上空。
![■「孤独になるには」加藤典洋詩、そして雲と月の居る夕空──週替わりの夕暮れ[12/17・19・20]_d0190217_21452745.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202012/20/17/d0190217_21452745.jpg)
●12月20日
日曜恒例の夕暮れウォーキングへ。好天続きの日々だが、今日も雲が空の脇に控えているような風情。![■「孤独になるには」加藤典洋詩、そして雲と月の居る夕空──週替わりの夕暮れ[12/17・19・20]_d0190217_21460826.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202012/20/17/d0190217_21460826.jpg)
私がどのようなウォーキングをしているのか──改めて10年近く前の記事にリンクを張っておこう。
闘うウォーキング[2011.3.28]
あの東日本大震災から二十日も経っていない時期。今でもウォーキングの様子自体はこれとほとんど変わらない。油山に月。
聞こえてくるのは、公園横の「大池通り」を走行中の車の音、鴨の鳴き声、我が身が風を切る音……。
孤独になるには
加藤典洋
孤独になるには
旅に出るのがいちばん
と国定忠次はいう
でも
どこにもいかないことも
孤独だよ
二人で一緒にいても
孤独だよ
ああ
そんなことが
あったなんて
芝生の公園はどこまでも続き
そこを僕たちは歩いていった
孤独とは
ふいに自分が
もう世界の住人ではないと
わかること
山に登ると
気分がいい
と沓掛時次郎はいう
でも
何もしないでいるのも
気持ちがいいよ
身体を草の上に横たえ
空を見るんだ
ああ
そんなときが
あったなんて
振り返ると
街には
天気雨が降っている
石畳がひかっている
坂の向こうに
赤い車が止まっている
その傍らに
青い道路標識
坂道を
僕たちは
駆け下りていった
笑いながら
ねこじゃらしを振り回しながら
スカートを揺らしながら
帽子を手で押さえながら
いくつもの
水たまりをとびこし
いくつもの
角を曲がり
橋を過ぎて
(2018/12/20)
加藤典洋さんの、ちょうど2年前の詩(『詩のようなもの 僕の一〇〇〇と一つの夜』から)だ。
加藤さん、この時季、孤独だったんだろうな。
暮れきってもなお雲のことが気になって。![■「孤独になるには」加藤典洋詩、そして雲と月の居る夕空──週替わりの夕暮れ[12/17・19・20]_d0190217_23023998.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202012/20/17/d0190217_23023998.jpg)
[12/21最終]