■「君らの行動は美でなくていいわけですか」──対論「三島由紀夫VS東大全共闘」における三島、そして週替わりの夕暮れ[1/24] |
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2021年 01月 24日
打ち合わせ後、幕末小倉藩の歌人・佐久間種の夫婦墓(豊前市宇島八屋)を訪れた。 以下、「コトバンク」から。 1804-1892 江戸後期─明治時代の歌人。 享和3年12月26日生まれ。妻は佐久間立枝。豊前小倉藩藩士。秋山光彪にまなぶ。37歳で隠居。晩年は各地を流浪しつつ歌と著述の生活をおくった。明治25年3月1日死去。90歳。本姓は松岡。名は種。通称は種次郎。別号に万非など。著作に「果園雑詠百首」「壁耳随筆」など。 * [三島]肉体の外に人間は出られないということを精神は一度でも自覚したことがあるだろうか、これが私がいつも考えてきたことであります。 精神というものは幾らでも尖鋭に、進歩的になり得るのだけれども、肉体というものは鍛えれば鍛えるほど、動物的な自己保存本能によって動いている。 それがぼくの肉体というものに対するおもしろい発見でありました。 肉体というものはその存在自体にしか関われないものであって、その存在から外側のものには何らタッチしない。 映画『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』をまだ観れていないので、活字化されたものを読んだ。 『美と共同体と東大闘争』三島由紀夫・東大全共闘、角川文庫。 三島についてはほんの少しだけ触れたことがあるが、この公開対論の記録を読んで、ちょっと見直した。 本人がのっけから、 [三島]今、私を(注──床に立たせないで)壇上に立たせるのは反動的だという意見があったそうで、まあ反動が反動的なのは不思議はございませんので、立たしていただきましたが、(笑)私は、男子一度門を出っずれば七人の敵ありというんで、きょうは七人じゃきかないようで、大変な気概を持って参りました。 と言うように、三島は果敢に東大に乗り込んでいった。 そして、対論での男っぷり、ある種大人の優しさは見事だ。 そのまま今に繋がる論点も多く、これまで読まなかったのが惜しいと思えるほどだ。 (以下、引用は適宜抜粋) [三島]私の大嫌いなサルトルが『存在と無』の中で言っておりますけれども、一番ワイセツなものは何かというと、一番ワイセツなものは縛られた女の肉体だと言っているのです。 サルトルが『存在と無』の中で自と他の関係を非常に分析しておりますけれども、エロティシズムは他者に対してしか発動しないですね。 今暴力の話が出ましたが、暴力とエロティシズムは深いところで非常に関係がある。 他者に対してしか発現しないのが本来のエロティシズムの姿です。 ところがその他者というものは意思を持った主体である。 これはエロティシズムにとっては非常にじゃまものになる。 ですから、とにかく意思を持った主体を愛するという形では、男女平等というのは一つの矛盾でありまして、お互いの意思によって愛するというのは本当の愛のエロティシズムの形じゃない。 相手が意思を封鎖されている。 相手が主体的な動作を起せない、そういう状況が一番ワイセツで、一番エロティシズムに訴えるのだ。 これが人間が人間に対して持っている(注─性的)関係の根源的なものじゃないかと思います。 [三島]これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。 なぜなら、終戦前の昭和初年における天皇親政というものと、現在言われている直接民主主義というものにはほとんど政治概念上の区別がないのです。これは非常に空疎な政治概念だが、その中には一つの共通要素がある。 その共通要素が何かというと、国民の意思が中間的な権力構造の媒介物を経ないで国家意思と直結することを夢見ている。 この夢見ていることは一度もかなえられなかったから、戦前のクーデターはみな失敗した。 しかしながら、これには天皇という二字が戦前ついていた。 それが今つかないのは、つけてもしようがないと諸君は思っているだけで、これがついて、日本の底辺の民衆にどういう影響を与えるかということを一度でも考えたことがあるか。 これは、本当に諸君が心の底から考えれば、くっついてこなけらばならぬと私は信じている。 [三島]朕はたらふく喰っているというのはだね、それは共産党の、諸君の嫌いな民青なんかの考えそうな、非常に下劣な文章である。 ところが、天皇というものはそれほど堂々たるブルジョアではないんだ。 もし天皇がたらふく喰っているような堂々たるブルジョアであったら、革命というものはもっと容易であった。 それでないからこそ、革命はむずかしいんじゃないか。 そして、そのむずかしさの中でだね、諸君は戦い、ぼくだって戦っているんだ。 それは日本の民衆の底辺にあるものなんだよ。 それを天皇と呼んでいいのかどうかわからない。 たまたまぼくは天皇という名前をそこに与えるわけだ。 それをキャッチしなければ諸君も成功しないし、ぼくも成功しない。 このあたりの議論に繋がるかも知れないことを、内田樹は『日本習合論』で触れている。 日本人は「無宗教」だからという説明を僕は受け入れません。日本人は間違いなく独特の仕方で宗教的だからです。でも、それがどういうかたちをとるのかが定まらない。 つまり、〔日本人は〕超越的なものが「どこか」にあるということは受け入れる。でも、それがどういうかたちで表象されるかについては、あまり関心がない。「どういうかたちでも、別にいいです」と涼しい顔をしている。 日本人が「本地垂迹説」という理説を抵抗なく受け入れたのは、その鈍感さも与っているのではないかと思います。「本地」とは、超越者の本来のあり方、「垂迹」とは神仏がこの世界に顕現するときのあり方のことです。 明治政府はそういった〔神祇官の上意下達的な公的統制に服さない〕プライベートな土着信仰を一掃しようとしました。民俗信仰への抑圧が始まるのは、明治五年頃からです。 廃仏毀釈と並行して、明治政府はこのような無縁者たちによって担われた宗教文化を根絶しようとしました。そして、事実それらはほとんど根絶されました。 これはある種啓蒙的・教化的善意によって駆動された「宗教の近代化」だったのかもしれません。この「近代化」とは、日本の伝統的な宗教文化のうちで、もっとも濃密に「土着的」なものを排除することでした。 「近代化」という美名の下に行われたのは、「土着的なもの」の排除だったわけですけれど、それは単に「土着的なもの」「非合理的なもの」が汚らわしく、忌まわしいものだったからではありません。そうではなくて、それらの民俗文化がそれまで占めてきた霊的な地位を奪い取らなければ、日本の民衆を霊的に動員することはできないという、明治政府の政治家たちの冷徹な計算があったからだと僕は思います。 「土着的なもの」に接合しなければ、国民的な規模での政治的エネルギーを喚起することはできない。そのことを古来から政治のテクノクラートたちは熟知していました。だから、日本古来の、もっとも深く日本人の深層に根づいた、もっとも純良な「土着」なものとは何かを名指すことができたものが日本の政治過程ではヘゲモニーを握ることができた。 (内田 樹『日本習合論』ミシマ社、2020年) [三島]諸君にとっては、ぼくの行動は全くみっともない。 自衛隊なんか入って、何かミリタリー・ルックきたりなんかして、みっともないと言うだろうが、私に言わせれば、あんな覆面かぶって、大掃除の手伝いみたいなのもみっともない。(笑)これは私に言わせればそうなんであって、行動の無効性ということについちゃ、五十歩百歩だと私は今のところ信じている。 何とかしてこれを有効性に持っていく時は殺し合う時だ。 いま殺し合う時期であれば、お互いに殺し合う。 しかし、そこまでいかなければ、最後の話はつかないんじゃないかということを私は言いたいのです。 [全共闘E]一応三島さんは民衆というのは何かということ、時間性において、とにかく日本人のメンタリティ、あるいは日本民族のメンタリティというものがあると、そういった日本人のメンタリティというものを背負って今まで生きてきた人間がいると、で、それが民衆だという形で規定して、そこから、たとえば革命という言葉は使わなくとも、戦いの原点というものをそこに持っていかれる。それが一応三島さんの主張の根幹だと思うのです。 [三島]ケルケゴールの不安というものの根源はどこにあるかということを私はときどき考えるのです。そうすると諸君は若いからあるいは未来から不安を与えられる。われわれは年をとっているから過去から不安を与えられる。未来に不安がない。そういうつまらない生理的な原因に理由があるのじゃないかとさえときどき思うことがあるわけです。 [全共闘C]それは時間がイマージュだからじゃないですか。 [三島]イマージュかも知れないね。ここに何か固いものがあって……ここに壁があれば安心だ……。 [全共闘H]端的に言えば、三島氏がそういう時間性に対する拘泥をもってしか天皇が描けないからこそ、ああいうみっともない、何というか、行動が生れるのだと、そう思うわけですよ。さっき、美は美として完結すると言ったでしょう、もし“もの”を書くんなら。 [三島]君は美を美として完結させるにはどういう方法があるのですか。それを教えてください。君は美というものを考えているわけでしょう。 [全共闘H]だから、三島が天皇のことを書くにあたって、結局時間性とか関係性という言葉を使う以上、そこに過去が出てきて、本来観念の究極としてあるべき美が現実に腐蝕していくという過程が登場するわけです。 [三島]そうすると、君らは少なくとも現実へ持ってくるということを拒否すると。君らの行動自体を美であらしめるためには現実に持ってくることを拒否するというふうに考える。君らの行動は美でなくていいわけですか。全然美と関係なくていいのですか。 [全共闘G]もし天皇が天皇として美しい。だから三島氏の言う人間天皇じゃない、天皇として美しいということは、それは天皇族、あれはまあ日本というものを普遍的に征服した、そこに美しさがある。それは征服者の美しさだと思うのですよ。権力の美しさ──ところが三島氏の作品における天皇というのはまるっきり古代の天皇のことを言っているわけじゃない。天皇制の中での天皇であて、天皇制の中での天皇は何かと言うと、要するに取り巻き連中が利用している存在にしかすぎないわけですよ。三島氏が現代の天皇を扱う時、そこは醜い存在です。ぼくが醜いというのは現実に彼がじじいであるから醜いというわけじゃなくて、ああいうふうに擁立された天皇であるからです。自分で立ってないわけですよね。彼は革命なんて起し得ないわけです。彼がどんなに女を抱きたいと思い、そういう世界に出たくても。だから、政治的概念なしに天皇は醜いではないか。 [全共闘G]ぼくは三島さんに呼びかけたいのですが、ぼくは「あなたに共闘していただきたい」と。さっきあなたは、もし諸君が天皇という言葉を口にしたならば、喜んでやるだろうとおっしゃった。ぼくは今「大和ことば研究会」というようなものをつくって、それの会長をやっていると。そういうものに個人的興味がある。またぼくの祖父というのは一高の教授で、戦前古事記の権威であった。(略)ぼくは今天皇という言葉を口にした。それでいて、なおかつぼくは今東大全共闘としてまだ活動続行中である。三島氏がさっき言ったことがほんとうとするならば、三島氏はぼくと共闘してくれてしかるべきだと思う。 [三島]今の言葉は非常に感銘深く聞きました。既成概念の破壊ということについては、私も長いこと、多少とも文学者としてなってきたつもりでありますが、それがいつの間にか私自身既成概念の権化そのものとうけとられているうれしさ、何かあるうれしさじゃないが、(笑)そういう感じでずっとここに立っている。それで、今天皇ということを口にしただけで共闘すると言った。これは言霊というものの働きだと思うのですね。それでなければ、天皇ということを口にすることも穢らわしかったような人が、この二時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、天皇なんて口から言ったはずがない。言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私はその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい。 [全共闘G]それで共闘するんですか? しないんですか? [三島]今のは一つの詭弁的な誘いでありまして、非常に誘惑的になったけれども、私は共闘を拒否いたします。(笑 拍手) [多分、書き掛け]
by karansha
| 2021-01-24 22:46
| 編集長日記
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