■「オンラインが便利にしたことと奪ったものを知ったうえで、どう生きていくか」片桐はいり、そして週替わりの夕暮れ[1/29] |
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2021年 01月 31日
さてさて、気づけば今日は既に一月尽。 私にとっては、不要不急どころではない肝心要(かなめ)の飲み水の確保で、由府市庄内町の白水鉱泉へ赴く。 他の用事もあり北九州市小倉北区に寄り、そこから東九州自動車道を利用、1時間半程で現地到着。初めて湯平温泉経由で走ったが、所々土砂崩れで臨時信号待ちをしたものの男池経由より随分と楽な気がした。 意識して見た限り、大分自動車道やくじゅう一帯では福岡ナンバー車の少なかったこと。 白水鉱泉も閑散としていた。 明日から2月。 1月の「朝日新聞」紙面から、ずっと気になったままの記事を抜粋しよう。 * 「自分のため」だけにやっていくことの空虚さに気づき、「人のため」に何かできることはないかと考えることは、とても健全なことだと思います。個人的な感情で作る音楽を否定するつもりはありませんが、自分はポップソングを作りたいと思うので、そうならざるを得ないところがあります。いま歌うべきは「生きていくことへの肯定」だと、気づきました。 聴く人がいなければ音楽は成立しません。自分も自意識の内にこもって、自分のためだけの音楽を作っていた時期も過去にはあったんですけど、自分の中を掘り下げるほど、他者への道が開いていく。結局、自分を構成しているものは、他者からもらったものににたどり着くんですね。 真に「いい人」もいないし、真に「悪い人」もいない。個人の中に、いいものと悪いものも混濁しているものだと思うんです。感情に隷属されきった状態でのいさかい合いは、白か黒か、善か悪かという極めて単純な二項対立に終始してしまい、分断を生むしかない。でも、本当はもう少し、グラデーションがあるはずだと思います。 ──米津玄師さん(ミュージシャン)1月1日掲載 どんな分野にも若くて生き生きとした才能が登場してくるものだ。少し立派で優等生過ぎる感じもするが……今度、意識してその音楽を聴いてみよう。 以前、一人芝居で全国を回りました。「よく一人でやるね」と言われましたが、一人で芝居なんかできませんよ。お客さんがいるからできるんです。お客さんの波動が芝居をつくる。だから一人芝居を経験したあと、客として観劇する時は緊張するようになりました。パフォーマンスを左右するのは観客である私なんです。 2000年代はインターネットと共にありました。2020年、人は人と会えなくなった。もちろんウイルスのせいですが、助走はずっと前から始まっていたんだなと思うんです。 先日仕事した人は、一緒にいる時間の3分の2くらいスマホに目を落としていました。また、いつからか演劇の稽古場ではリンゴのマーク(米アップル社のノートパソコン)に向かって芝居しているような感じになりました。スタッフがみんな広げているから。 今からネットなくして生活はできません。でも、映画館で映画を浴びること、ライブでもみくちゃになって騒ぐ喜びを、簡単に手放せないと思うんです。オンラインが便利にしたことと奪ったものを知ったうえで、どう生きていくか。後戻りはできない、この状況を生きていくしかないわけですから。 ──片桐はいり(俳優)1月3日掲載 「2000年代はインターネットと共にありました」という言葉が、これほどひどく切実に響いてくるのは、まさしく今現在の状況だから。 関心のなかったこの人が、俄然「気になる人」になってしまった。 客観的に見ても、東京五輪を開催することにマイナス意見が多い、それでもなんとか開催したいという声もある。様々な方の葛藤が交じり、出場を目指す選手の立場からしても、複雑な心境です。無理をせずに、状況に合わせて冷静に判断していくことが望ましいと感じています。 選手として、走りで励ましたいとか、元気を与えたいというのは、少し違うのかなって思うんです。(女子1万メートルで東京五輪代表に内定した)新谷仁美さんが東京五輪に対して「私たちアスリートは応援してくださる方々がいてこそ」と話していた。私がもやもやしていたことを言語化してくれて、腑に落ちました。(略) 東京五輪が開催される、開催されないにかかわらず、そこに向けて頑張れることがありがたいこと。仮に中止になったとしても、自分も含めて選手たちが互いにたたえ合えたらいいと思っています。 ──広田有紀さん(医師・陸上選手) 1月30日 (幻となるかも知れない)東京オリンピックのことに、またそもそもスポーツのことに限らないが、私も以前から気になっていたことを広田さんが語ってくれた。誰かに元気を与えたい、勇気を与えたいといった言葉の中に潜む或る種の特権意識と「世間」への迎合。
by karansha
| 2021-01-31 23:10
| 編集長日記
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