■私たちは問わなければならない──「で、この件は、誰が本当の責任者なのですか、と」、そして週替わりの夕暮れ[5/25-30] |
●5月25日
事務所の窓から。
全く様相の異なる二層の雲が面白い。
●5月26日
月から呼ばれているようで。
●5月29日
自宅近所の公園にて。
ごく普通の夕焼けこそが今は貴重だ。 私たちのリアルな「生」は今まさに、強烈な「無責任」と向き合っている(略)。
そう、東京五輪のことである。
連日、さまざまなことが報じられているが、予定通り行うにしても、中止するにしても、結局、誰にその最終的な決断の責任があるのかが、よく分からないのだ。
そもそも、オリンピックは誰の責任で開催するものなのか。「開催都市」というのだから、「東京都」なのだろうと思っていた。だが、よく調べてみると五輪は国際オリンピック委員会=IOCが主催するものであるらしい。(略)
だが、IOCはただのNPOに過ぎない。国連の機関でもない。そんな組織に、責任がとれるのだろうか。実際、IOCは、日本政府が開催できると言っているから大丈夫と判断しているようにも見える。どこまで行っても、「真の責任者」が見えてこないのである。(略)
意味のあることを言えば、責任が生じる。しかし意味が無いことを言い続けていれば、きっと責任は負わないで済むだろう──。(略)この「哲学」は、実は私たちの社会に慢性的に広がっている、一種の毒素かもしれない。
だとすれば私たちは今、この問題の「責任」について、根本から考え直す必要があるのではないか。
──神里達博〈五輪「真の責任者」は──強烈な「無責任」に向き合う〉より(「朝日新聞」5月28日)ともかく、自分の頭で考えること。●5月30日
ウォーキングで西ノ堤池へ。
先週撮ったのよりはもう少し薄いピンク色。
混ざりけのないピュアさ。 先週は鳥の声が大音量だったが、今日はもうコオロギ(だろう)の合唱に取って代わって。 小さな公園グラウンドに暖色の日が落ちて。