一昨日、76歳で亡くなった丸林宏昭氏の葬儀(福津市・JAむなかた野ぎく会館)へ。
丸林さんは元々、印刷営業畑の人。
私は1970年代後半からの付き合いで、出版物の印刷を依頼しただけでなく、彼が受注した本づくりの手伝いもさせていただいた。
1980年のこと、当時私が在籍していた会社で山本作兵衛炭坑画集(『王国と闇』)を出版することになり、印刷営業で来ていた丸林さんは趣味で写真もやっていた(と“吹聴”していた)のでそれなら作兵衛翁の写真を撮ってもらおうということになり、秋の一日、社長の久本三多氏と丸林さん、それに私の3人で田川の山本作兵衛さん宅に伺った。
作兵衛翁は私たちの顔を見るなり、すぐさま玄関框の裏から一升瓶(「剣菱」だったかどうか…)を取り出し、酒を勧めた。
当然久本さんは受けて立ち、酒盛りが始まった。「ゴットン節」も出た。
その間、丸林さんは、タツノ夫人も撮るし、住まいの周辺まで撮りまくっていた。
さて、私はどうしていたか……これが記憶にない。
その時の写真の一枚がこれ。作兵衛翁の代表的な写真となった。
山本作兵衛と写真好き青年の、僥倖の如き半日の遭遇劇。
3年前だったか、丸林さんはその時のネガとプリントの全てを、田川市石炭・歴史博物館に寄贈した。「無私」の気持ちが尊い。斎場の受付横には、愛用のカメラとその時の記事が。