私は月曜日始まりで物事を考えてしまう。つまり、日曜日までが週末。それで今週、シャッターを押していた光景より。
●12月19日実に明快な夕暮れだ。事務所入居ビルより。![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21242690.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21242690.jpg)
●12月20日
このところ制作仕事をさせていただいている方の運営されている事業体の新しい施設を訪問させていただいた。
春日市の大牟田池に面した静かな環境。
![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21250740.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21250740.jpg)
●12月23日
朝から強風、霙交じりの天気。
六本松にてバスの中から。
![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21254152.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21254152.jpg)
ライオンとペリカンの会の読書会の夕べ。終わって帰宅時にはバスやJRが動かないのでは、と心配する参参加者もいた(だが結局、彼も食事まで居た)。テキストは、読書会メンバーでもある柿木伸之さんの『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』(インパクト出版会)。福岡市赤煉瓦文化館にて。
●12月24日事務所から。![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21272783.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21272783.jpg)
●12月25日
寒いと、一層ウォーキング気分が高まる。西ノ堤池は静まり返っていた。![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21300032.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21300032.jpg)
受け皿
石原吉郎 おとすな
膝は悲しみの受け皿ではない そして地は その受け皿の 受け皿ではさらにない それをしも悲しみと呼ぶなら おれがいまもちこたえているのは 鍵ともいえる垂直なかなしみだと おそれずにただこたえるがいい。
哀愁1
哀愁は明らかな 一つの意思とならねばならぬ たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように 赤らみつつくっきりとえがかれた 意志的なその輪郭は」 そのままに林檎の哀愁となろう そのように人は街に立たねばならず くっきりと歩み去らねばならないのだ
死角
隠蔽するものの皆無なとき すべては平等に死角となる 隠蔽ということの一切の欠如において われらは平等にそして人間として はじめて棒立ちとなるのだ ![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21300820.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21300820.jpg)
ふと、月が視野に入る。
そいういえば柳眉(りゅうび)という言葉があったよね。![■たとえばしっかりと卓上へ置かれた 一個のリンゴの哀愁のように──石原吉郎詩、そして週替わりの夕暮れ[12/19-25]_d0190217_21324702.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/25/17/d0190217_21324702.jpg)